作曲家と料理のお話

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作曲家と料理のお話 第21回(ショパン②)

今日は今年の四旬節の直前の木曜日、『脂の木曜日』です。 ショパンの祖国ポーランドでは、この日にポーランドのドーナツ『ポンチキ』を食べる習慣があるそうです。 ポーランドのポンチキは、フィリングに、薔薇ジャムを詰め、表面をアイシングしたものが一般的だそうです。 ポンチキは中世ポーランド発祥で、17〜18世紀頃、現代のような甘いドーナツ型として定着したようですので、ショパンの生きていた時代には、既に脂の木曜日にポンチキを食べる習慣は根付いていたように想像されます。 脂の木曜日は、カーニバルのクライマックスの木曜日でもあります。 カーニバルの期間中、人々は食事や舞踏会を楽しんで、華やかに過ごしますが、四旬節の初日、灰の水曜日に街は静寂が訪れるようです。 パリからショパンが1847年2月17日付け、友人のグジマウァに宛てた手紙には、「今日は聖灰水曜日だ。おいでなさい。こんなさみしいカーニバルを過ごした罰だ。」というような一文があるようです。 この年の復活祭までショパンはジョルジュ•サンドと過ごしたようですが、その後、サンド一家はノアンに引きあげてしまいサンド宛ての手紙の文の端々に寂しさが滲んでいるように思えます。 ショパンはノアンのサンドの館で過ごした期間もあり、その頃、ショパンがワルシャワの家族へ宛てた近況等を伝える手紙の中に、「サンド夫人がアレキサンドリア種というぶどうからジャムを作った。」という文があり、ショパンの父親からショパンに宛てた手紙の中には、「ワルシャワの両親の家の庭にはぶどうの樹が植えられている」と記載があるなど、ショパンにとって葡萄は馴染み深いものの1つだったのではないかと思われます。 今日は、これらのショパンにまつわるエピソード等に因んだ『脂の木曜日』のテーブルコーディネートをしてみました! 写真の手前が、ショパンもきっと食べていたと思われる今日の主役のポンチキと 脂の木曜日によく食べられるとされる、ポーランドのソーセージのキエルバサをイメージして、付け合わせには、ポーランドでも古くから保存食としても親しまれてきた伝統料理ザワークラウトです。 ザワークラウトは、元々はキャベツの塩漬けを発酵させ、酸味があるものだったようですが、今回は現代風にレモン汁で酸味を加え、ハーブの宝庫、西洋を演出するディルを混ぜ合わせることで爽やかさがグレードアップし、何故かマヨルカ島の春を感じさせてくれました。 グラスに入ってるのは、アレキサンドリア100%のジュースです。 今回の写真のポンチキは『ポンチキヤ』というお店で購入しました。ポンチキヤさんのポンチキは、ボリュームがあってドーナツだけれども、とても軽くてフワフワで食べやすかったです。口の中に薔薇の香りが広がって、少し甘酸っぱくて上品な味がしました。とても美味しかったです。 ザワークラウトは手作りです。 今回はディスプレイにもこだわり、背景は、ショパンがサンド一家と共に滞在したマヨルカ等のヴァルデモッサのカルトゥハ修道院の石壁です。 マヨルカ島では、自然が美しく、薔薇の花が咲き誇っていたり、オリーブやオレンジやシトロン(フランス語でレモン)等々、ショパンは、常春の国だと表現しています。 ここでショパンは有名な『雨だれ』、『バラード2番』を完成させました。 楽譜は、『雨だれ』のショパンの自筆譜を貼ってあります。下の方には、ショパンが書き直した痕跡も残っています。 ここでクイズです!この楽譜の形、何か分かりますか? 体調が悪化したショパンは、数々の名作を完成させたマヨルカ島を惜しくも1839年2/12に最後の日を迎えました。 187年前の今日、ショパンがマヨルカ島で最後の一日を過ごしたと思うと、とても感慨深く、今日の食卓を味わいました。 ショパンは、どのような気持ちで、マヨルカ島を後にしたのでしょうか?
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作曲家と料理のお話 第20回(チャイコフスキー)

ロシアは、その寒冷な気候から限られた作物しか育たなく、現代では新鮮な野菜も年中手に入れることができるそうですが、当時は、野菜を収穫できる期間に保存食を仕込んでいたようです。家庭では、魚や野菜を塩漬け、酢漬けにして保存する習慣があったようです...
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作曲家と料理のお話 第19回(リスト)

フランツ・リストは、晩年のある時、ワーグナーと娘コジマからアプリコットソースの仔牛の蒸したカットレットを送られたようです。しかし彼は歯が悪くて噛むことが出来なかったようです。 リストは、彼の献身的な弟子だったリーナ・シュマルハウゼンにカット...
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作曲家と料理のお話 第18回(ラフマニノフ)

ラフマニノフは、1900年の冬、ロシアの文豪トルストイのモスクワの住居を訪れました。その際、期待していたのとはまるで正反対の、彼の音楽に対する批判的な言葉を受けました。それをきっかけに5日間寝込み、ドクトル・ダーリを紹介されて、それから1か...
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作曲家と料理のお話 第17回(シベリウス)

いよいよ来週21日、ふきのとうホールにて、札幌コンセルヴァトワール主催の室内楽演奏会が開催されます。 豪華デラックスなプログラムで素敵な夏の夕べをお届けできますことと存じます。皆様のご来場を心よりお待ち申し上げております。 今回は人気のピア...
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作曲家と料理のお話 第16回(ベートーヴェン)

ベートーヴェンの両親は結婚当初、経済的にかなり厳しい生活を送っていたようです。ベートーヴェンの母は、トゥリアー選帝侯の夏の離宮の料理長の娘でした。彼女は料理の知識が豊富だったかもしれません。ベートーヴェンは母の手料理の味が忘れられなかったの...
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作曲家と料理のお話 第15回(シューベルト②)

友人シュパウンへある時宛てた手紙によると1822年ウィーンでは、毎週3回朗読会を開いていたようです。 朗読会ではビールを飲んだり、ソーセージを食べたりしていたようですが、楽しかった日々も過ぎ、健康面での不安と同時に、喜びもなく友人もなく毎日...
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作曲家と料理のお話 第14回(シューマン)

大作曲家のロベルト・シューマンはショパンと同じ1810年にドイツで生まれました。シューマンは1828年に、ライプツィヒ大学で法律を専門的に学ぶために出身地ツビカウからライプツィヒに移ったようです。シューマンはこの年の3月31日に、後に妻とな...
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作曲家と料理のお話 第13回(バルトーク)

バルトークは節約主義だったと、バルトークの息子ペーテル氏は伝えています。 いつもきちんとした身なりをしていましたが、新しい服はほとんど買わず、衣服も靴も長持ちさせる術を心得ていたようです。 家庭の食事は野菜中心で肉は少々と質素でしたが美味し...
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作曲家と料理のお話 第12回(サン・サーンス)

今日は幾分寒さが緩んだ札幌も、昨日は4月の雪が降るほどの寒い1日でした。この冷気は何処から呼び寄せられたものなのでしょうか。 昨日はしんしんと降り続ける雪を窓から眺めながら、一昨日、キタラ大ホールを感動の渦に包み込み、満席の聴衆を魅了された...
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作曲家と料理のお話 第11回 (ワーグナー)

前回はイースターに因んだお料理をご紹介しました。 キリスト教の暦は、カーニバル(謝肉祭)→ レント(四旬節)→ イースター(復活節)と進みます。 レントは断食の期間です。断食といっても完全な絶食ではなく、肉、乳製品、卵のような贅沢品を避けて...
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作曲家と料理のお話 第10回(モーツァルト)

ハプスブルク家はオーストリアを拠点に領土を広げ、中世より6世紀以上の長期に渡りヨーロッパに君臨しました。マリア・テレジアの父カール6世の頃には、ナポリ王国やミラノ公国などの旧スペイン領もハプスブルグ家の領土となりました。 マリア・テレジアの...
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