作曲家と料理のお話

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作曲家と料理のお話

作曲家と料理のお話 第19回(リスト)

フランツ・リストは、晩年のある時、ワーグナーと娘コジマからアプリコットソースの仔牛の蒸したカットレットを送られたようです。しかし彼は歯が悪くて噛むことが出来なかったようです。 リストは、彼の献身的な弟子だったリーナ・シュマルハウゼンにカット...
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作曲家と料理のお話 第18回(ラフマニノフ)

ラフマニノフは、1900年の冬、ロシアの文豪トルストイのモスクワの住居を訪れました。その際、期待していたのとはまるで正反対の、彼の音楽に対する批判的な言葉を受けました。それをきっかけに5日間寝込み、ドクトル・ダーリを紹介されて、それから1か...
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作曲家と料理のお話 第17回(シベリウス)

いよいよ来週21日、ふきのとうホールにて、札幌コンセルヴァトワール主催の室内楽演奏会が開催されます。 豪華デラックスなプログラムで素敵な夏の夕べをお届けできますことと存じます。皆様のご来場を心よりお待ち申し上げております。 今回は人気のピア...
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作曲家と料理のお話 第16回(ベートーヴェン)

ベートーヴェンの両親は結婚当初、経済的にかなり厳しい生活を送っていたようです。ベートーヴェンの母は、トゥリアー選帝侯の夏の離宮の料理長の娘でした。彼女は料理の知識が豊富だったかもしれません。ベートーヴェンは母の手料理の味が忘れられなかったの...
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作曲家と料理のお話 第15回(シューベルト)

友人シュパウンへある時宛てた手紙によると1822年ウィーンでは、毎週3回朗読会を開いていたようです。 朗読会ではビールを飲んだり、ソーセージを食べたりしていたようですが、楽しかった日々も過ぎ、健康面での不安と同時に、喜びもなく友人もなく毎日...
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作曲家と料理のお話 第14回(シューマン)

大作曲家のロベルト・シューマンはショパンと同じ1810年にドイツで生まれました。 シューマンは1828年に、ライプツィヒ大学で法律を専門的に学ぶために出身地ツビカウからライプツィヒに移ったようです。 シューマンはこの年の3月31日に、後に妻...
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作曲家と料理のお話 第13回(バルトーク)

バルトークは節約主義だったと、バルトークの息子ペーテル氏は伝えています。 いつもきちんとした身なりをしていましたが、新しい服はほとんど買わず、衣服も靴も長持ちさせる術を心得ていたようです。 家庭の食事は野菜中心で肉は少々と質素でしたが美味し...
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作曲家と料理のお話 第12回(サン・サーンス)

今日は幾分寒さが緩んだ札幌も、昨日は4月の雪が降るほどの寒い1日でした。この冷気は何処から呼び寄せられたものなのでしょうか。 昨日はしんしんと降り続ける雪を窓から眺めながら、一昨日、キタラ大ホールを感動の渦に包み込み、満席の聴衆を魅了された...
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作曲家と料理のお話 第11回 (ワーグナー)

前回はイースターに因んだお料理をご紹介しました。 キリスト教の暦は、カーニバル(謝肉祭)→ レント(四旬節)→ イースター(復活節)と進みます。 レントは断食の期間です。断食といっても完全な絶食ではなく、肉、乳製品、卵のような贅沢品を避けて...
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作曲家と料理のお話 第10回(モーツァルト)

ハプスブルク家はオーストリアを拠点に領土を広げ、中世より6世紀以上の長期に渡りヨーロッパに君臨しました。マリア・テレジアの父カール6世の頃には、ナポリ王国やミラノ公国などの旧スペイン領もハプスブルグ家の領土となりました。 マリア・テレジアの...
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作曲家と料理のお話 第9回(ブラームス)

ブラームスはクララ・シューマンの娘たちのピアノ教師をしていました。クレメンティの〈グラドゥス・アド・パルナッスム〉という教材を高く評価し「簡単なものをできるだけ速く演奏しなさい」と指導していたそうです。教え子の中でブラームスは特にマリーエの...
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作曲家と料理のお話 第8回(メンデルスゾーン)

メンデルスゾーンの両親はとても教育熱心で、音楽以外にも一般教養を身につけさせるために家庭教師を雇いデッサンの授業を受けさせたりもしていました。その甲斐あってか彼は絵画にも才能を示し、旅先の風景のスケッチや水彩画を描いたりもしていたようです。...
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