今日は幾分寒さが緩んだ札幌も、昨日は4月の雪が降るほどの寒い1日でした。この冷気は何処から呼び寄せられたものなのでしょうか。
昨日はしんしんと降り続ける雪を窓から眺めながら、一昨日、キタラ大ホールを感動の渦に包み込み、満席の聴衆を魅了されたMusica先生のピアノの音色がずっと頭の中で流れていました。
今回は美しく流麗な旋律を生み出したサン・サーンスにアプローチしてみました。
サン・サーンスは25歳の頃、パリの二デルメイエールの音楽学校のピアノ科の教授に就任し、寄宿生として学んでいたフォーレと知り合い、親交を深めました。
フォーレが学生だった頃のある年、サン・サーンスはフォーレの故郷で彼の家族や友人たちとともに休暇を過ごしました。すっかり打ち解けたようで、サン・サーンスが出発する際には皆が残念がり、帰った後も彼の話題でもちきりになり称賛の言葉が飛びかっていたようです。
フォーレが卒業し、ブルターニュ地方のレンヌの教会オルガニストとして務めていた頃、サン・サーンスが彼に宛てた手紙の中に「バターがおいしくて、さっきまた、食べたところです。」という言葉が残されています。このバターは、ブルターニュのバターを意味していたようですが、フォーレが贈ったものだったのでしょうか。
ブルターニュは酪農が盛んで良質な乳製品が多く、また、海に囲まれているこの地域は、良質な塩の名産地としても知られ、この塩から作られる有塩バターは料理、菓子等の特徴となる程のインパクトがあり、バゲットにぬって食べても絶品のようです。
今日は、フランス南西部に古くから伝わる郷土料理カスレをメインにしてみました。トゥールーズ風に、表面にパン粉をふってカリッとした食感に仕上げてみました。
トゥールーズはフォアグラの名産地でもあるようです。
サン・サーンスは生後間もなく父親を亡くし、母とその叔母に育てられたようです。この休暇でフォーレの両親と過ごし、父親の包容力にも触れることができたのかもしれませんね。前述のサン・サーンスからの手紙には、フォーレの母親からパテが送られてきたことが書かれていたようです。「黄色い固まり」と表現されているようですが、この地域の名物フォアグラだったのでしょうか。
今回は、フォアグラを手に入れることができなかったので、鶏肉のパテを前菜にしてみました。
ミディ=ピレネー地域圏の大都市で、エアバスで知られるトゥールーズからさらに南西に位置するタルブは雄大な山々に囲まれた緑豊かな大自然を誇る土地で、フォーレからサン・サーンスへ宛てたタルブからの手紙には、「タルブの片田舎へ、また来るよりは・・・」という言葉が、サン・サーンスからフォーレへは「青い山のふもとに住んでおられる慈愛深き、君のお母様が・・・」という表現があるようです。
カスレはフォーレも家庭の食卓で味わっていたのではないでしょうか。
サン・サーンスは、フォーレの故郷を訪れた際、フォーレの友人や家族と、ミディ=ピレネー地域のバニェールで過ごしたようです。もしかすると、この時、サン・サーンスも口にしていたかもしれませんね。
デザートにはブルターニュの伝統菓子2品を、フランス産のバターを使って焼いてみました。
1860年頃あるパン職人の手で生み出されたという「クイニーアマン」(「クイニー」は菓子、「アマン」はバターを意味するそうです。)と、もう一品は「ガレット・ブルトンヌ」というクッキーで、バターの風味がリッチな味わいを醸し、サクサクの食感がグッドです。
フォーレもレンヌに赴いた頃、このお菓子を口にすることがあったのではないでしょうか。またはバゲットにぬって食べるバターの美味しさを敬愛してやまぬサン・サーンスに伝えたかったのではないでしょうか。
10日のピアノコンチェルトのフレーズを思い出しながら、いただくフランスの郷土料理風のディナーは、最高の贅沢なひと時でした。
サン・サーンスのきめの細やかで繊細な心模様を描く柔らかな風合い、色合いの旋律は女性の手で育てられた感性だったのでしょうか。
父性愛を知らずに育った彼の目に同級生たちが父親と一緒に歩く姿はどのように映っていたのでしょうか。Musica先生のピアノから、心の中を吹き抜けてゆくような哀しい風や涙の冷たさが胸にしみる瞬間が何度もあり、何か孤独感のようなものがひしひしと伝わってくるようでした。
まだまだ胸の中で沸騰中の感動です。
1度には書ききれないので、今にも溢れ出しそうな感動の記憶は、今夜はひとたび、フタをして、少し熱を冷ましてから改めて、お伝えさせていただければ、と思います。