大作曲家のロベルト・シューマンはショパンと同じ1810年にドイツで生まれました。
シューマンは1828年に、ライプツィヒ大学で法律を専門的に学ぶために出身地ツビカウからライプツィヒに移ったようです。
シューマンはこの年の3月31日に、後に妻となるクララと出会いました。音楽好きの人の屋敷でクララが演奏することになり、クララの父の知り合いの紹介でシューマンはクララと出会いました。
クララの父ヴィークにシューマンが音楽家になりたいという話が伝わり、当時ライプツィヒで一番の音楽教師だったヴィークは自分の所に来るようにシューマンに話します。
シューマンはヴィークのレッスンを受けるようになり、この頃は毎日6、7時間ピアノの練習をしていたようです。
シューマンは7歳の時にはじめてピアノに触れ、シューマンの父がピアノを買ってくれたのは彼が10歳の時でした。10歳も年が離れている小さなクララや周りの音楽を勉強している仲間達に刺激をうけ、より意欲的になっていたのではないでしょうか。
そのような日常の中で、シューマンはライプツィヒの、あるコーヒー店に通っていたようです。クララと出会った年の1828年〜1844年まで、16年間もの間、定期的に通っていたようです。シューマンにとって、とてもお気に入りのお店だったのですね。このお店の一階にはシューマンの指定席だった所が残っており、シューマンエッケと呼ばれているようです。
シューマンは夕方に好んでここに来ていたようです。練習やレッスンの合間の息抜きとして来ていたのかもしれませんね。
今日はシューマンのお気に入りのコーヒー店で彼の好物だったメニューのポテトスープ、ライプツィヒ風野菜の煮込みとハム入りダンプリン添えを作りました。
シューマンの友人フランツ・リストはシューマンについて「シューマンは控えめで寡黙だ」とマリー・ダグーに書いています。シューマンはあまり、おしゃべりをする方ではなかったようですね。
シューマンが通っていたコーヒー店では、彼は色々と演説をしたり、妻クララともよく語り合ったそうです。お気に入りの場所で好きな音楽について語り合う時間はシューマンにとって、きっと心休まる幸せなひと時だったのでしょうね。