今年の2月12日(木)は『脂の木曜日』と言い、作曲家ショパンの祖国ポーランドでは、この日に『ポンチキ』を食べる習慣があるそうです。『脂の木曜日』とは、四旬節の直前の木曜日で、この日にショパンも食べていたと言われる『ポンチキ』を筆者もいただきました。
ポーランドのポンチキは、フィリングに、薔薇ジャムを詰め、表面をアイシングしたものが一般的だそうです。
ポンチキは中世ポーランド発祥で、17〜18世紀頃、現代のような甘いドーナツ型として定着したようですので、ショパンの生きていた時代には、既に脂の木曜日にポンチキを食べる習慣は根付いていたように想像されます。
脂の木曜日は、カーニバルのクライマックスの木曜日でもあります。
カーニバルの期間中、人々は食事や舞踏会を楽しんで、華やかに過ごしますが、四旬節の初日、灰の水曜日に街は静寂が訪れるようです。
パリからショパンが1847年2月17日付け、友人のグジマウァに宛てた手紙には、「今日は聖灰水曜日だ。おいでなさい。こんなさみしいカーニバルを過ごした罰だ。」というような一文があるようです。
この年の復活祭までショパンはジョルジュ•サンドと過ごしたようですが、その後、サンド一家はノアンに引きあげてしまいサンド宛ての手紙の文の端々に寂しさが滲んでいるように思えます。

ショパンはノアンのサンドの館で過ごした期間もあり、その頃、ショパンがワルシャワの家族へ宛てた近況等を伝える手紙の中に、「サンド夫人がアレキサンドリア種というぶどうからジャムを作った。」という文があり、ショパンの父親からショパンに宛てた手紙の中には、「ワルシャワの両親の家の庭にはぶどうの樹が植えられている」と記載があるなど、ショパンにとって葡萄は馴染み深いものの1つだったのではないかと思われます。
今日は、これらのショパンにまつわるエピソード等に因んだ『脂の木曜日』のテーブルコーディネートをしてみました!

写真の手前が、ショパンもきっと食べていたと思われる今日の主役のポンチキと
脂の木曜日によく食べられるとされる、ポーランドのソーセージのキエルバサをイメージして、付け合わせには、ポーランドでも古くから保存食としても親しまれてきた伝統料理ザワークラウトです。
ザワークラウトは、元々はキャベツの塩漬けを発酵させ、酸味があるものだったようですが、今回は現代風にレモン汁で酸味を加え、ハーブの宝庫、西洋を演出するディルを混ぜ合わせることで爽やかさがグレードアップし、何故かマヨルカ島の春を感じさせてくれました。
グラスに入ってるのは、アレキサンドリア100%のジュースです。
今回の写真のポンチキは『ポンチキヤ』というお店で購入しました。ポンチキヤさんのポンチキは、ボリュームがあってドーナツだけれども、とても軽くてフワフワで食べやすかったです。口の中に薔薇の香りが広がって、少し甘酸っぱくて上品な味がしました。とても美味しかったです。
ザワークラウトは手作りです。
今回はディスプレイにもこだわり、背景は、ショパンがサンド一家と共に滞在したマヨルカ等のヴァルデモッサのカルトゥハ修道院の石壁です。
マヨルカ島では、自然が美しく、薔薇の花が咲き誇っていたり、オリーブやオレンジやシトロン(フランス語でレモン)等々、ショパンは、常春の国だと表現しています。
ここでショパンは有名な『雨だれ』、『バラード2番』を完成させました。
楽譜は、『雨だれ』のショパンの自筆譜を貼ってあります。下の方には、ショパンが書き直した痕跡も残っています。
ここでクイズです!この楽譜の形、何か分かりますか?
体調が悪化したショパンは、数々の名作を完成させたマヨルカ島を惜しくも1839年2/12に最後の日を迎えました。
187年前の今日(2026年2/12)、ショパンがマヨルカ島で最後の一日を過ごしたと思うと、とても感慨深く、今日の食卓を味わいました。
ショパンは、どのような気持ちで、マヨルカ島を後にしたのでしょうか?(丸山)

ショパンをジョルジュ・サンドが親しみを込めて「チップ・チップ」と呼んでいたことから名付けました。
またどこかで会えるかも!?
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