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宮澤功行モデレーターハチャトリアンのこの曲は知りません、、、聴いてみたいなぁ〜〜
宮澤功行モデレーター《疾風怒濤の教育 その成功への情熱(3)》
コンクールの発展に関しては私の力ではありません。
毎日子供コンクールは毎日新聞社の鈴木千佳さんが主導して大発展を遂げ,PTNA北海道は支部長の石川越章氏の働きが無ければ今の発展は無かったと思います。
しかしながらこのコンクールが発展していくに従って周りは「コンクール商売繁盛していますか??」と嫌味を込めて言ってきます。
でも私は「自分はピアノを弾く事と教える事以外での収入は考えない」を哲学にして生きていますのでピアノ販売を紹介してリベートを受け取ったり,化粧品や健康サプリの斡旋をしたり,各種コンクールで利益を得ようとは金輪際考えていませんのでそう答えると訊ねた相手が驚きます。
私にとって,もし利益が出たらそれはその仕事にたずさわっている人達が繁栄してくれれば良いという共栄の考えが人生の基本です。
化粧品や健康サプリの販売は論外ですが私たちはピアノを販売してくれる方々,コンクールを一生懸命運営してくれる方々のお陰でピアノを弾き教えて生活できると云う一線を越えてはいけないと思います。
綺麗ごとを語っているのではなく自分の本分を弁えないと我が身が滅びます。
つまりPianoを弾き続けPiano指導で実績を挙げ続けることの大変さから逃げる様になっては何の為に音楽家の道を選んだのか分からなくなりますしそんな先生とPianistを生徒たちは見たくないと思うのです。
Piano指導者は自分と社会に対して常に挑戦者でなくてはならないと思っていますので私は今でも生徒たちに演奏と音楽で示していく姿勢を貫いています。こんな考えの私が東京のサントリー大ホールを満員にして上杉春雄くんをPianistデビューさせCD制作販売に尽力したのは文化レベルが高い欧米に見られる二つの職業を持つ音楽家の姿を見て(社会的文化度が向上してきた日本にもこれは可能)と考えたからです。
この演奏会はNHKも含む大手のマスメデアが大きく取り上げてくれ演奏会も素晴らしく大成功を収めました。
日本では医者が絵を描いたりPianoを弾くのは趣味道楽の扱いで両方(医者とPianist)のプロの誕生は歴史上初めての快挙だと思います。
恩師の息子さんのお陰で札幌に居ながらにして自分の夢が実現し東京への一つの目標が達成したのですが矢張り西洋音楽の本場はヨーロッパにありますので次に目標を欧米に切り替えました。
私にとって音楽的な行為は常に子供の教育が根幹にあります。
なので先ずAOCC(子どもの為の海外交流演奏会&コンクール)を主宰:
生徒達が①海外で演奏会を開催、②国際コンクールへ挑戦し先生も審査員として参加、③ヨーロッパ各国の有名音大・音楽院との交流、④著名な音楽教育家・Pianistを招聘、公開講座・個人レッスン・演奏会の開催 ⑤海外でPiano協奏曲をチャレンジ⑥etc、、、の目標を掲げスタートしました。
芸大を含む閉鎖的な日本の音大では絶対出来ない考えの実践なので当初はヨーロッパ各国での実体験型の実践教育は絶対不可能と思っていましたが安に相違してヨーロッパ各国の著名な音大・音楽院は大きな度量で私の全ての要請・要求を受け入れ行ってくれました。結局,上記に上げた①~⑥の全ての実践ができ大成功を収めましたのでAOCCは8回の開催で当初掲げた目標を全て達成したことになりました。
これ以上続けると惰性・マンネリになるので暫く休む事にし,近年これをConcours Schule(学びのコンクール)と名前を変えて再スタートさせました。
日本の北国の札幌に居ては絶対に出来ない・無理と云われていた事の数々を東京とヨーロッパで実践し近年はモスクワでも出来るようになりました。
矢張り情熱は人の心を動かし熱意は周りを変える事がこの数々の実践によって証明できました。
私はこれも≪疾風怒涛の教育≫の重要な考え方だと思っています。
齢を重ねるにつれ誰か??受け継いで発展させてくれないかなあ~~~と思う毎日です。
宮澤功行モデレーター《疾風怒濤の教育 その成功への情熱(2)》
今,少し時間が空いたので階層社会と仕組みについて書いてみます。
今流にはHierarchieとBusiness modelと言い変える事が出来ますが現在の近代社会Systemから考えると,あの変てこな平安時代が398年,江戸時代が265年もの長い間なぜ続いたのかが不思議です。
でも今の世の中も大所高所から眺めると100年後の人々が見たらとても可笑しな事が沢山あります。
それでも一般的には社会に波風を立てるのを嫌い気付いても気づかない振りをしているか⁇ 変えるのが面倒臭いから『今のままで良いんじゃない⁇ 慣例や伝統に従いましょう‼️』となります。
民主主義は時間がかかる上に上記のような保守派が大多数を占めますからそれが例え悪しき伝統・慣習であっても改革・改善・改良するのは本当に大変です。
その上,音楽家には仕事の特質から(我が最高)(我が一番)的な個人主義者が多くその度が過ぎた利己主義者が沢山います。
つまり付和雷同せず群れない一匹狼的な生き方をよしとし,それが芸術家の生き方と思っている人達ですから改革・改善など出来るはずがありません、、、自分の頭に止まった蝿は払うが他人の蝿は取らない人達を束ねて,ありとあらゆる分野に構築され雁字搦めになっている階層構造や仕組みを変えるのは至難の技です。
例え矛盾を感じ,理不尽な仕打ちにあったとしても個人主義者は我が身の安全と己れの魂の自由を最優先しますから、、、。なので周囲から〔狂気に感じられる情熱〕がなくてはいつの時代も仕組みや体制を変えることは出来ません。
普通に生きてるのでは何一つ変えられ無いから先ほどの変てこな時代さえも長く続いて行く訳です。
元生徒で今や有名人の吉田友昭くんと我が家で????wineを酌み交わす中で『私も宮澤先生の疾風怒濤を見習いたいんですがキリスト、坂本龍馬、吉田松陰、etcは皆,疾風怒濤で時代を変えましたが,はり付け、暗殺、斬首などで皆んな長生きしてませんですよね〜』と、、、正にその通り。
吉田松陰は生徒たちに『狂え〜〜〜』と叫んだとか⁇⁉️ちっぽけな例ですが,長い伝統を誇りそれを権威の拠り所としていた某Concoursが審査員の固定化,課題曲のマンネリ化などの客観的弊害,時代錯誤的な仕組みの欠陥があり、次第に審査結果にも理不尽さが付き纏う様になっていました。
このコンクールを改革しようとして真っ直ぐぶつかって行くとアッと言う間に打ちのめされるのが分かっていたので、私はこの仕組みを変える為に絡め手から攻める事にして《毎日こどもコンクール》の仕組みを作り上げ開催に漕ぎ着けました。
翌年,矢張り当時の子供コンクールに幾多の矛盾を感じ,それを時代に合ったものにしなくてはと燃える様な情熱を持って北海道に来られた故・福田靖子先生と意気投合し.先生に頼まれてPTNAの北海道での発展を引き受けることにしました。
それまでの権威主義的なコンクールに対して改革・改善・改良したことの主な点は①点数の公開 ②審査員の講評を参加者に渡す ③審査員の固定化を止める ④課題曲と自由曲に幅広い選択肢を持つ ⑤ 審査員の勉強会と幅広い交流 ⑥ 若手の審査員であっても実績に応じて本選会や学生コンクールに抜擢 ⑦ etc…
此の様に,この二つのコンクール(毎日こどもコンクールとPTNAコンペテション)はその仕組みが正に画期的であった為,その後,社会的認知を得て改良改善を重ねながら,それぞれ第一回は90名ほどの参加で超赤字でstartしたのに今や約二千人の参加者が挑戦するコンクールに発展して行きました。
PTNAはその後,全国的には4万5千人の参加者に支持されるに至りました。もしあの時,私が『今のままで良い、変えるのは無理、出来っこ無い』と諦めていたら北海道の子供のピアノ世界が今の様な活気に満ち溢れることは決してなかったと思います。
Hierarchieに楔を打ち込み新たなBusinessmodelを構築して時代の流れを変えていく試みは超大変でしたが矢張りとても意義深く感じます。
次代を担う若者にはこのような気概と情熱を持ってピアノに向き合って欲しいと願っています。
何故ならこれも疾風怒濤の教育の一つだからです。
宮澤功行モデレーター《疾風怒涛の教育 その成功への情熱(1)》
立派に成長した二人の子供と生徒たちの姿から感じるのだと思いますが私はよく人から子育て生徒育ての成功の秘訣は??と訊ねられますので参考にしてみて下さい。
これはこの《疾風怒涛の教育シリーズ》とはチョッと別の角度からの話しになります。
先ず,私は二人の子供が親元を離れ大学へ進学する際に稲森和夫さんの「成功への情熱」と云う本をそれぞれにプレゼントしました。
つまり(ピアノ)=(世の中での他の仕事)の成功への道筋は同じと考えるならスキルアップをして行く中で絶えず「これで良いか?悪いか?問題は何か?」を他人ではなく自分に問いかけるのを習慣化する。
次に親の押しつけ教育にならない様に本当に子供がやりたいことをシュミレーションして(息子の場合はこれをマインドマップ)みてそれを文章化する。
その中でどうしたら上手くいくか?成功するか?をとことん掘り下げて考えてから前進する。
この二つが前提です。
生きてると様々な壁にぶつかりますが(例えば社会との軋轢・老人介護問題・音楽家の場合は医者などに比べるとリスペクトもリターンも足りないと云う現実・他者との人間関係・様々な社会問題・etc)これらの全てを決してネガテイブにはとらえない。
(愚痴・嫌味・妬み・嫉み・悪口・汚い言葉・厭らしい発言・etc)を極力避け(明るく・生き生き・前向き・伸び伸び・輝いて・etc)など未来に希望が持てる言葉を選んで発言する。
兎に角,常にポジテイブに考え,何事も否定的にとらえず肯定的にとらえてみると結果は全て真逆になって行きます。
この考えは父の叔父が「成長の家」と云う宗教を創り理事長をしていた関係でその影響を受けました。
また私の場合,毎日の朝食は緑茶と林檎,それに仕事としてのPianoの練習とLessonを欠かさないと決めていますが,この単純な繰り返しを続ける意志も大切かと思います。
そして両親は先生でしたので病弱児の私に幼少の頃から山の様に積み上げた本の中から自分の興味に合った本を読むように勧められその習慣が身につきました。
これがやがて難解な哲学書などへも及び人生の様々な局面で大いに助かりました。この《疾風怒涛の教育》シリーズの冒頭に「もし北海道で私が疾風怒涛を掲げなかったら頭で描いた音楽教育上の理想や夢は何一つ成就できなかったと思います。
つまり疾風怒涛はあらゆる分野で既成概念を超えた新たな世界を世に示していく精神であり魂の事だと思っています」と書きましたが人生が余り上手く行っていない人の特徴は上記とは反対の考えと生き方。
加えて普通は既成概念にはまり,世の中の今をそのまま受け入れて暮らしています。
少し先の時代を予感しそれに向かっていく自分を変えていく姿勢・情熱を持ちませんし持っていても足りなく感じます。
音楽家は兎角「破滅型人生」「努力の割にリターンもリスペクトが足りない」職業に完全に思われていますので最終的に人生を決める際には避ける職業のNo.1になっています。
人生を決める際に親も子も本能的に「安全・安心・安定」そして何よりもリスペクトとリターンが豊かに感じられるものを選択するのは世の中で生きていく上では当然なのかもしれません。
もし音楽家を選択するならその経済的な非効率を覚悟し「相当な決意と情熱」を欠かさず持ち続ける生き方を選ぶことになります!!
それでも貴方は音楽家を選択しますか??因みに私は音楽家を選択し素晴らしい人生を築けました!!
宮澤功行モデレーター小野先生書き込み????????有り難う御座います。
(狂えるオルランド)などのRenaissance期の物語は奇想天外なものが多く粗筋が解らなくても楽しめるのが多いですが矢張りヘンデルが一番成功したと思います。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/狂えるオルランド
宮澤功行モデレーター《疾風怒濤の教育とは⁉️》
春は卒業・入学の季節、、、大家族だった我が家(私と????????陽子ママと私の兄と妹、私の両親、私の母の両親、そして????????陽子ママの両親⇨????????陽子ママの母、) は大家族ゆえ誰がいつ来て,いつ帰るのかも分からないアバウトながら楽しい日常生活を送っていました。
この大家族の中で,息子と娘の誕生日や雛祭り入学・卒業などの行事を一切手抜きをしないで毎年,両方の両親などを招き祝っていたのは今でも懐かく思い出します。
年中追われる生活の中にあっても冷蔵庫なども各自が自由に開けて好きな物を好きなだけ食べたり飲んだり。
家族主義の私と????????陽子ママがその様な家庭運営方針だったのでお年寄りには居心地が良かったと思います。
こうして金銭的なことや家庭経済など全く考えないで皆んなが喜ぶならOKと思って暮らしていましたが母が脳溢血で倒れ8年半植物人間状態になってからは家族の状況は次第に一変して行きました。
亡くなってからはそれは益々,複雑化するに至りました。
血縁ゆえに(情がベタつき)次第に近親憎悪が拡大していくのを肌で感じたので,それを極力避ける為,老人(6人)に関する精神的かつ経済的な問題の全てを私と????????陽子ママで引き受け揉めないで暮らすことに決めました。
そんな中で原則自由は常に変わらない基本的方針として貫きました。
現在,老人介護が社会問題になっていますが介護保険制度が無い時代に私と????????陽子先生は最初に書きました6人の老人を介護して看取り葬儀もきちんとあげ供養してきました。今は他者からかなり羨ましがられる私たちですが(苦難福門、後楽園の生き方)は人生に悔いを残すことが無いのでお薦めします。
考えると解ることですが私の祖父母の時代は廃藩置県政策で長野県の松本から北海道の開拓へ、、、此れは想像を絶する世界。
又、両親の時代は第二次世界大戦の戦乱の時代、、、此れから這い上がる日常も言葉を失うほどの苦難の毎日。
その祖先が在りて私と????????陽子先生の時代にはピアノを習わせてもらい(毎日が大好きなピアノで暮らせる時代)の到来です。
親孝行など言われたことも押し付けられたこともありませんが一人欠けても今の私は存在していない事を思うと心からの感謝以外の言葉は見つかりません。
幸い二人の子供も健やかに成長し私たちへの余りの親孝行に私は今は子供たちに毎日感謝して暮らしています。
今の最高の幸せを考えると(毎日を楽しみ愉しんで暮らして教育をして行く教育消費の考えは矢張り正しい)と思います。
加えて私は両親から怒鳴られたことなど一度も無かったと,この疾風怒濤の教育とは?に書き込みましたが病弱の私に対する(両親のVocabularyの気遣い)には今も感心し感謝するばかりです。
http://buzzmag.jp/archives/56075Attachments:
宮澤功行モデレーター小野先生、写真付きの詳細な投稿????????有り難う御座いました。
宮澤功行モデレーター内田さん小野先生大変ていねいな書き込み????????有り難う御座いました。
言葉の壁(特にキリル文字に対して)がかなり緩和されてきた感じがします。
私は日本史、世界史が大好きでしたが最初は王様を表す《カレル、チャールズ、カール、カルロス》などが同じと思わずまる暗記していました。(笑)
矢張り何でも〔聞くは一時の恥,知らぬは一生の恥〕ですね。
宮澤功行モデレーター《疾風怒濤の教育 想い出(4)》
徒然なるままにiPhoneに向かいて我がピアノ人生を振り返ると国際concoursの審査員を20数年務めてきた事も素晴らしい想い出になっています。
今でも一緒に審査員を務めたピアノ界の蒼々たる審査員の顔や招かれた国々と参加者の顔。そして彼らの演奏を思い出します。
〔ラザール・ベルマン、チェルニー・ステファンスカ、アンジェ・ヤシンスキー、エキエル、アボ・クユムジャン、ヤン・ノボトニー、スタルクマン、、、etc〕東京ではなく札幌に住んでいる私の元に国際concours審査員の招待状など先ず有り得ないと思っていたところへスメタナ国際concoursの審査員招待状が届きました。
夢が正夢になった此の手紙だけは今も額に入れ私のレッスン室にDisplayしています。
その後スメタナ国際はレギュラーで毎年のように審査員を務めましたが,その他、カール・チェルニー国際、スェーデン国際、クロアチアとパリの国際concoursなどの審査員を務めてきました。大きいメジャーな国際concoursを書類選考で落ち無い事とメジャーなconcoursへの実体験訓練として中小の国際を目指す挑戦者たちとその指導者から学ぶことは甚大で終日聴いているだけで勉強になります。
何よりも国際レベルと国際的な音楽性の基準が解るのが私にとってBetter、、、朝食・昼食・Dinnerも開催期間中,毎日一緒なのでそのときの会話やマナーからも学ぶことが沢山あります。
正に私自身が国際人として常に心身に磨きをかけられている感じがするのが国際concoursの現場です。
日本の国旗が掲げられているので生きる緊張感を保って振る舞わないと即・国辱者になるわけですから国際concoursに参加することを夢見る若者には国際レベルのマナーもピアノと共に学んで欲しいと思っています。そんな中で疾風怒濤の本にも書きましたが札幌Conservatoire????に各国から著名な音楽家と教授が多数訪れRecitalや個人Lessonをしてくれる様になりました。
此の積極的な欧米&ロシアとの音楽交流が北海道と札幌のレベルアップにつながって行ったのは言うまでもありません。
又、Lessonに通ってくる生徒たちの未来を考えるにつけ生徒を飼い殺し状態にしてはいけないと言う思いに駆られます。
それは広く国際的な体験.経験を積むとおのずとわかってきます。
つまりドイツ音楽、フランス音楽、ロシア音楽、etc、矢張り国によって違う此れらの全てを日本の場合,先生1人でこなしますが其れにはどうしても限界が漂います。
若い頃から貪欲に国際レベルを求め学び続けてきたのでより解るのかも知れませんがこの考えによって札幌Conservatoire????の生徒たちは国の内外の各種concoursで確実に上位入賞する様になっています。
国際concoursを含め世界を目指すのを諦める若者と先生が多い中にあって,私は次代を担う子供たちには矢張り諦めず世界を目指す挑戦者になって頂きたいと願っています。その昔,私が札幌で上記のような疾風怒濤の教育を掲げ突き進んでこなかったなら北海道は今も東京からは嘲笑されるレベルのままになっていると思います。
宮澤功行モデレーター小野先生写真付き投稿????????有り難う御座いました。深澤先生の感想素晴らしいです‼️????????有り難う御座いました。
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