makiko

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  • 返信先: フリートーク#4763
    makiko
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    皆さんこんにちは!!
    今日の札幌は-5℃。
    とても寒いですが、札幌 キタラ大ホールにて PTNAピアノフェスティバル
    が9時50分から開催され、演奏者の方々熱い演奏をされております。
    そして明日11時より 情熱の日 芸術祭入賞者コンサートも開催されます。
    札幌の音楽教室 札幌コンセルヴァトワールの生徒さんも出場されております。
    ぜひ足をお運びください!!

    1869年2月18日の今日、ブラームス作曲 オーケストラと合唱、およびソプラノ・バリトンの独唱による宗教曲ドイツ・レクイエム作品45たがカール・ライネッケ指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団により7楽章全曲が初演された日です。
    この曲が構想されたきっかけは、1856年に自らを世に出してくれた恩人ロベルト・シューマンが死去したことにあったと言われています。
    1857年に着手59年には早くも現在の第2楽章完成しましたがその後は進まなかったのですが、1865年、ブラームスの母が死去、製作を急ぎました。
    通常レクイエムはカトリック教会において死者の安息を神に願う典礼音楽のことであり、ラテン語の祈祷文に従って作曲されるものですが、ブラームスはプロテスタントの信者でした。
    よって、ルターが訳したドイツ語版の聖書などに基づき自身で選んだテキストを歌詞として使用しています。
    演奏会用作品として作曲され、典礼音楽として使うことは考えられていないのが大きな特徴。
    ブラームス自身も、「キリストの復活に関わる部分は注意深く除いた」と語っています。
    この曲の理解者で1868年に一部演奏を担当した指揮者カール・マルティン・ラインターラーは、ブラームスの詞の選択に納得がいかず、ヘンデルの『メサイア』のソプラノによるアリア「私は知る、私を贖う者は生きておられる」を挿入。ブラームスは彼への書簡で、「私は、喜んでこの曲のタイトルから『ドイツ』の名を取り去り、『人間の』と置き換えたいと公言してもいい」と述べています。

    Buona giornata!!

    返信先: フリートーク#4743
    makiko
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    皆さんおはようございます。お久しぶりです!!

    今日の札幌は2℃。比較的過ごしやすい寒さです。
    さっぽろ雪祭りも本日最終日。今年は開催以来最高の来場者数だったようです!

    2月4日5日、開催されました 札幌コンセルヴァトワール発表演奏会も
    おかげさまで盛況の中無事終了しました。
    どの部も素敵な企画があり楽しめる内容でしたよ
    熱演された演奏者のみなさまありがとうございました。
    今年いらっしゃれなかったかたはぜひ来年いらしてみてください!!

    お待ちしております!!

    1924年2月12日の今日、ガーシュウィン作曲ラプソディ・イン・ブルーがポール・ホワイトマンの提案を受け、ニューヨークのエオリアンホールで開かれた「新しい音楽の試み」と題されたコンサートに向けて作曲し、そこで初演されました。

    題名は「この曲は青い」という意。
    元は『アメリカン・ラプソディ』という題名でしたが、兄のアイラが現在の題名を提案して変更しました。
    ラプソディ(狂詩曲)は、「民族音楽風で叙事詩的な、特に形式がなく自由奔放なファンタジー風の楽曲」なので、このタイトルから、ガーシュウィンはジャズをアメリカにおけるある種の「民族音楽」と捉えていたことが窺えます。

    1924年1月3日、他の仕事で多忙だったガーシュウィンが兄のアイラとビリヤード場に行った際、新聞で「ホワイトマンがガーシュウィンに曲を発注した」という記事を見つけました。
    翌日、抗議のためガーシュウィンはホワイトマンに電話をかけるも、実はこの記事はホワイトマンがガーシュウィンを呼びつけるために作った偽記事だったらしく、「新聞記事になってしまったから作ってくれ」とホワイトマンに押し切られたという経緯です。
    カデンツァの部分は、仕事でボストンに向かう際に乗った列車の走行音から着想を得たとされています。
    ガーシュウィンは、この曲を約2週間で一気に書き上げ、当時のガーシュウィンはまだオーケストレーションに精通していなかった上、作曲の期間が限定されているという事情もあり、代わってグローフェがオーケストレーションを行ったといわれています。
    グローフェは当時、ホワイトマン楽団のピアニストで、専属の編曲者も務めていました。
    ガーシュウィンが2台のピアノを想定しながら作曲し、それを即座にグローフェがオーケストラ用に編曲していき、ガーシュウィン自身が弾くピアノと小編成のジャズバンド向けの版が完成されました。
    その後もいくつかの版が作られましたが、1926年にグローフェが再編曲したオーケストラ版と、ガーシュウィンの死後、1942年にフランク・キャンベル=ワトソンがグローフェ編曲版に加筆修正を加えた版がよく知られています。
    その後は主に1942年版が演奏されています。

    Buona giornata!!

    返信先: フリートーク#4720
    makiko
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    皆さんこんにちは!!
    今日の札幌は-4℃寒いです。

    札幌の音楽教室 札幌コンセルヴァトワールは下記の日時で
    中央区大通西6丁目ザ ルーテルホール
    札幌コンセルヴァトワール発表演奏会を開催いたします。

    2月4日(土)
    一部 10時開演
    二部 14時開演
    三部 17時45開演   
    5日(日)
    一部 10時開演
    二部 14時開演
    三部 17時半開演
    四部 20時開演 

    どの部も盛り沢山な内容を企画しております。
    街に寄ったついでに。。。気軽にお立ち寄りください
    会場でお待ちしております。

    1916年1月28日の今日、グラナドス作曲 オペラ『ゴィエスカス』がニューヨークのメトロポリタン歌劇場において初演された日です。
    スペイン語の台本はフェルナンド・ペリケ・イ・スアスナバール。
    初演は大成功であったとする説と、賛否両論に分かれたとする説があります。
    題名はスペイン語で「ゴヤ風の音楽」という意。
    『ゴィエスカス』は、「恋する若者たち」という副題を掲げており、グラナドスが非常に愛好したゴヤの作品の絵画やタペストリーの下絵に霊感を受けて作曲したといわれています。
    楽曲と特定の絵画との間に確たる一致が見られるわけではなく各楽章の題名は、絵画の音楽的な描写を示しているというのではないそうですが第7曲「わら人形」だけは、作品の中では唯一、現存する絵画に実際に対応した楽曲のようです。
    第8曲「ゴヤ風のセレナード」は、1909年に『ゴィエスカス』の草稿として作曲されながらも、正編から外され、近年に再発見されるまで長年忘れられてきました。

    グラナドスは次のように記しています。
    「私が夢中になったのは、ゴヤの心理状態や彼のパレット、ゴヤ自身、彼のミューズであるアルバ公夫人や、彼とモデルや愛人、おべっか使いたちとの口論。白みがかったあの桃色の頬と対比をなす、黒いビロードの生地。アコヤガイのような手と、漆黒の装飾品にもたれかかったジャスミンの花。こういう人目を引かないものに、私はとり憑かれているのです。」

    なおグラナドスは、この作品の初演のために夫婦で渡米し、帰路の船でドイツ軍潜水艦による無差別攻撃に遭い、悲劇的な最期を迎えました。

    Buona giornata!!

     

    返信先: フリートーク#4705
    makiko
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    皆さんこんにちは!!
    今日の札幌は曇りマイナス3℃寒いです。明日まで雪になりそうです。交通機関のマヒ
    渋滞もあり得ますので時間には余裕をもってお出かけください。

    1859年の1月22日の今日、ブラームス作曲 ピアノ協奏曲第1番 ニ短調作品15が、ハノーファにおいてブラームス自身の独奏、ヨアヒムの指揮で初演された日です。
    ブラームスの最初に作曲された協奏曲で、管弦楽曲としても『セレナード第1番』の次に書き上げられ、1857年に完成されました。
    完成当時は評価が芳しくなくハノーファー初演は一応成功したものの、5日後のライプツィヒ公演の際、聴衆は退屈のあまりに非難の野次を飛ばしたといわれています。
    ブラームスはヨアヒムに「僕はただわが道を行くだけです」また悲しげに「それにつけても野次の多さよ!」と手紙を書いたといわれています。

    1854年3月に3楽章構成の『2台のピアノのためのソナタ』として書き上げられたものが原型でしたが、ブラームスはクララ・シューマンと何度か試奏してピアノという形に不満を抱きはじめ、1854年の7月には交響曲に書き直そうと考えてオーケストレーションに取りかかりました。
    1855年2月に協奏曲にすることをひらめいたことで現在のスタイルの外形が出来上がったようです。
    この時点では、第2楽章は最終的なものとは別だったようです。
    クララ・シューマンや親友のヨーゼフ・ヨアヒムの助言を受け、彼らが納得いくまでブラームスは改訂を加えクララによれば第1楽章は1856年10月1日に完成、そしてブラームスの私信によればフィナーレは12月、そして新たに書き出した第2楽章は1857年1月に完成したようです。

    Buona giornata!!

    返信先: フリートーク#4693
    makiko
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    皆さんこんにちは!

    今日の札幌も激寒のマイナス7℃。毎日毎日寒いです。
    最大限の防寒でお出かけください。

    1932年1月14日の今日、ラヴェル作曲『ピアノ協奏曲ト長調』が、パリのサル・プレイエルにおいて、マルグリット・ロンの独奏とラヴェル自身が指揮するラムルー管弦楽団によって初演されました。
    大成功を収め、初演ピアニストのロンに献呈されました。
    ただし、初演の時の実際の指揮者は、ルイス・デ・フレイタス・ブランコといわれています。
    最晩年に作曲した2曲のピアノ協奏曲のうちの一つでラヴェルの死の6年前(1931年)に完成され、ラヴェルの完成された作品としては最後から2番目にあたります。
    ラヴェル自身は「モーツァルトやサン=サーンスと同じような美意識」に基づいて作曲したと語っています。
    作曲は1929年に着手されましたが、同年冬からは『左手のためのピアノ協奏曲』との同時進行となり、『左手のためのピアノ協奏曲』完成からさらに丸一年を経過した1931年にようやく完成しました。
    完成当初、ラヴェルは自分自身のピアノ兼指揮で初演することを望んでいましたが、自分の力量を見極めて(体調不良で医者から休養を薦められた)、ロンに独奏を任せたといわれています。
    初録音のレコードでも、ポルトガル出身の指揮者が棒を振ったのですが、ラヴェルはレコーディング・ディレクター的な立場だったにも拘らず、マーケティング面を考慮して、ラヴェルが指揮した事にされたようです。

    Buona giornata!!

    返信先: フリートーク#4667
    makiko
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    皆さんこんにちは!!

    今日の札幌は-3℃。快晴です。
    日差しは届いていますが冷たい空気が優勢で体感は昨日より寒いかもしれません。
    一枚多く着込むなど暖かくしてお過ごしください。

    1843年1月8日の今日、シューマン作曲 ピアノ五重奏曲 変ホ長調作品44が、ライプツィヒにて、クララ・シューマンの演奏で初演されました。
    この作品は、『室内楽の年』として知られる1842年で、9月から10月にかけてわずか数週間のうちに作曲され、妻のクララ・シューマンに献呈しています。
    初期のピアノ四重奏曲を例外として、シューマンはそれまで室内楽作品を一曲も完成させていませんでしたが、突如室内楽に集中し、同年中に3曲の弦楽四重奏曲とピアノ四重奏曲を作曲しています。

    さて久しぶりの今日の言葉

    天は自ら助くる者を助く(スマイルス)

    Buona giornata!!

    返信先: フリートーク#4666
    makiko
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    皆さんあけましておめでとうございます!!

    本年もどうぞよろしくお願いいたします。

    今日の札幌は快晴3℃。日差しが届き穏やかな空です。

    1881年1月2日の今日、サン=サーンス作曲 ヴァイオリン協奏曲 第3番 ロ短調作品61がサラサーテの独奏でパリで初演されました。
    ロマン派音楽における重要なヴァイオリンと管弦楽のための協奏的作品の一つで1880年に完成され、初演者のサラサーテに献呈されました。

    vi augro l’anno fantastico e stupendo 2017!!

    返信先: フリートーク#4659
    makiko
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    皆さんこんにちは!!
    今年もあと残すところ2日・・・
    皆さんいい一年でしたか?
    今日の札幌は雪 -2℃。今日も交通マヒ。雪の山の撤去が追い付いていないようです。
    今日は吹雪になるかもしれません。

    1893年12月29日の今日、ドビュッシー作曲 弦楽四重奏曲ト短調 作品10がパリの国民音楽協会にてイザイ四重奏団によって初演された日です。
    評価は賛否両論だったようです。
    ドビュッシーの現存する作品では唯一作品番号付きで出版されています。
    弦楽四重奏曲は2点を作曲する予定でしたが、構想がまとまったのは本作のみでした。

    今年一年お世話になりました!!
    来年もまた宜しくお願い致します。

    Grazie per questo anno passato.
    Buon Anno!!

    返信先: フリートーク#4651
    makiko
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    皆さんこんにちは!!

    今日の札幌は-1℃。視界不良なほどの大雪です。
    この大雪と、クリスマスを含む三連休で道路は混雑、街中の人の数、半端ないです。
    今夜もタクシー難民が出そうです。
    皆さん時間には余裕をもってお出かけください。

    1806年12月23日の今日 ベートーヴェン作曲 ヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲 ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品61がアン・デア・ウィーン劇場にて、フランツ・クレメントの独奏により初演されました。
    この日まで曲は完成しておらず、クレメントはほぼ初見でこの難曲を見事に演奏し、聴衆の大喝采を浴びたといわれています。
    その後演奏される機会が少なくなり、存在感も薄れていきましたがこれを再び、ヨーゼフ・ヨアヒムが取り上げ、この曲を最も偉大なヴァイオリン協奏曲と称し、生涯亡くなるまで演奏しています。
    この曲は同時期の交響曲第4番やピアノ協奏曲第4番にも通ずる叙情豊かですが、これにはヨゼフィーネ・フォン・ダイム伯爵未亡人との恋愛が影響しているとも言われています。
    構想されたのがいつ頃なのかを特定する証拠はないですが、交響曲第5番第1楽章のスケッチにこの曲の主題を書き記したものが存在するそうです。
    創作にあたってベートーヴェンは、ヴァイオリニストでアン・デア・ウィーン劇場オーケストラのコンサートマスターであったフランツ・クレメントを独奏者に想定、彼の助言を容れて作曲していたと言われています。
    完成した時、ベートーヴェンはその草稿をクレメントに捧げましたが、1808年に出版された際の献呈は、親友のシュテファン・フォン・ブロイニングだったそうです。

    Buona giornata!!

    返信先: フリートーク#4644
    makiko
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    皆さんこんにちは!!
    今日の札幌は、穏やかな空で-3℃。連日の雪で道路は渋滞、
    忘年会シーズンも重なり、タクシー難民も出ています。。
    今日もかなり寒いです。お気をつけてお出かけください。

    1953年12月17日の今日、ショスタコーヴィチ作曲 交響曲第10番ホ短調 作品93が、指揮ムラヴィンスキー、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団で初演されました。
    ショスタコ―ヴィチは1948年のジターノフ批判で苦境に追い込まれました。
    一因のひとつとして、交響曲第9番を聞いたスターリンは、ベートーヴェンの交響曲第9番のような作品を期待していましたが、その期待とは全く異なる作品であったため激怒したことだといわれています。
    その時期には映画音楽や『森の歌』などを発表し、非難を避けるべく当局に迎合するかのようにふるまっていたようです。
    この作品はスターリン死後に発表されました。ドイツ式綴りのイニシャルから取ったDSCH音型(Dmitrii SCHostakowitch)が重要なモチーフとして使われています。
    この音型が『ショスタコーヴィチの証言』でスターリンの音楽的肖像などであるとされた第2楽章までは現れず、第3楽章になってから現れ始め、第4楽章に至るとあらゆる場面で用いられることからも、スターリン体制が終焉し解放された自分自身を表現しているのではないかとも言われています。

    作曲者自身は1947年に教え子のカラ・カラーエフへの手紙の中に「戦争三部作の真の完結編は,第9番ではなくこれから作る第10番だ」という意味深な文を残しています。
    発表後の討論会では、あえて作品の欠点を自ら述べた後に、「一つだけ言わせてほしい。私は人間的な感情と情熱とを描きたかった」とコメントしていますが、『ショスタコーヴィチの証言』では「あれは、スターリンとスターリンの時代について書いたものであった」、第2楽章を「音楽によるスターリンの肖像である」と述べていたり、終楽章の自身を表すDSCH音形の多用などから、スターリン時代を意識したものと考えられています。

    Buona giornata

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