宮澤功行院長の新聞掲載記事(毎日新聞2003年1月23日)

宮澤功行院長の記事が毎日新聞に掲載されました。

[パリ国際コンクール審査員に参加して]
冬のパリを万華鏡の様に彩るイルミネーションは正に芸術です。
数百年前に王妃カトリーヌ・ド・メディチが外貨を得る目的でパリをヨーロッパ最大の文化都市に仕上げた伝統が電飾にも受け継がれているフランスには偽物を認めない文化的土壌が確りと根付いています。

昨年12月審査員に招待されたパリ国際コンクールは今まで体験したどの国際コンクールよりもクオリティが高く超ハイレベルなコンクールでした。

主催者によると『公募すると200名位集まるので,予めこの委員会で各種国際コンクールの1位か2位クラスの逸材に参加を勧め,本選を2回という形で行っている。
審査員もショパン国際コンクールの審査委員長を始めチャイコフスキー国際コンクールの審査員や世界的な音楽家と批評家などで構成し,聴衆と審査員の負担を軽減する様にして運営している』とのことでした。

従って参加者は既にプロとして活動をしている逸材ばかり,そんな中で私はイタリアのジュゼッペ・アンダローロ(2000年のポルト-国際コンクール第1位・2001年 ロンドン国際コンクール第1位・仙台国際コンクール1位)とドイツのマーティン・ヘルムヒェン(2001年 クララ・ハスキル国際コンクール第1位)を押しましたが残念ながら入賞出来ませんでした。

しかし彼らの音楽はバンドーム広場のショーウィンドーを飾る宝石の様な気品が漂う高貴なものでした。

結局一位はシエン・ソン(上海)(1996年 北京国内コンクール第1位・2001年の上海国際コンクール第2位・2001年 ポルト-国際コンクール第2位・2002年 モロッコ国際コンクール第1位) が聴衆賞も合わせて150万円を獲得,北京のワン君も含めて中国パワーを改めて印象付けました。

中国では改革解放後,祖国再興の為に海外留学者に優遇政策を与えて帰国を促し,それが文化と科学技術の発展の原動力になっていること等々を聞き、今だに旧態然として変わらない日本を憂いてしまいました。

こうした情報を各国の審査員や出演者と交す大きなパーテイも3回あり、真の交流・親睦を持てた実り多い国際舞台でした。

また、様々な国際コンクールの審査員をしてきて今回ほど「価値観の違いや極端に言えば好き嫌いで決まる音楽芸術に於いて,順位に振り回されると自滅する」と思ったことはありません。

このハイレベルな音楽家達に順位を付ける事が残酷に感じました。幸い,入賞を逃した人達も、たまたま今回は結果が付いて来なかっただけで自分達は芸術性豊かな演奏をしたとういう満足感に満ち溢れていました。

芸術への自信がそうさせるのでしょうが、一位のソン君を皆で祝福する情景は見ていても実に清々しく、素晴らしい精神性を感じさせてくれるものでした。

仕事を終えて通訳&秘書として同行の娘とパリを散策、すっかりカトリーヌ・ド・メディチの魔術に魅了され,後ろ髪をひかれる思いで帰国の途につきました。

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