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  • このトピックには413件の返信、18人の参加者があり、最後にDr.Cloverにより1年、 7ヶ月前に更新されました。
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  • #4552返信
    makiko
    モデレーター

    皆さんこんにちは!!

    今日の札幌はすっきり快晴の7℃。
    この2,3日で雪も少しつもりました。
    12月2日より7日まで、第70回全日本学生音楽コンクール全国大会が 横浜みなとみらいホールで開催されています。
    札幌の音楽教室 札幌コンセルヴァトワールからピアノ部門 小学生から高校生 まで出場されています。
    実力が発揮されますよう応援しております。
    頑張ってください!!

    1925年の12月3日の今日、ガーシュイン作曲 ピアノ協奏曲 『ヘ調の協奏曲』が、ニューヨークのカーネギー・ホールにおいて、ガーシュウィン自身のピアノ独奏、ダムロッシュ指揮のニューヨーク交響楽団によって初演されました。
    初演では歓迎されたものの、批評家の間では、ジャズとクラシックのいずれに分類すべきかをめぐって意見が割れ、同時代の作曲家の間でも同様の評価、ストラヴィンスキーは本作を天才の仕事と認めましたが、プロコフィエフは毛嫌いしたといわれています。

    Buona giornata!!

    #4595返信
    makiko
    モデレーター

    皆さんこんにちは!
    今日の札幌は現在-1℃。
    毎日厳しい寒さプラス道路歩道ともにツルツルでスケートリンクのようです。
    皆さん十分お気を付けください。

    1813年12月8日の今日、ベートーヴェン作曲、交響曲第7番イ長調Op.92がウィーンでベートヴェン自身の指揮で初演された日です。
    この曲はベートーヴェン42歳の1812年に完成しました。同じ演奏会で初演された「戦争交響曲」と呼ばれる「ウェリントンの勝利」とあわせて2曲とも好評を博し、その4日後の12月12日、3週間後の1月2日、そして2月27日にアンコールの演奏会が行われています。初演から大好評だった数少ない曲で、後にリストはこの曲を「リズムの神化」と呼び、ワーグナーは「舞踏の神化」と呼んで絶賛していますが、その一方で、ウェーバーは「ベートーヴェンは今や精神病院行きだ」との言葉を残し、ワインガルトナーは「他のいかなる曲よりも精神的疲労を生じさせる」と評したと言われています。

    Buona giornata!!

    #4602返信
    makiko
    モデレーター

    皆さんこんにちは
    今日の札幌は-3℃。快晴ですが土曜日からの大雪で一面銀世界です。

    1920年12月12日の今日、ラヴェル作曲 管弦楽のための舞踏詩『ラ・ヴァルス』がパリにおいて、原曲の管弦楽版がカミーユ・シュヴィヤール指揮ラムルー管弦楽団によって初演された日です。
    1919年12月から1920年3月にかけて作曲した管弦楽曲、もしくは作曲者自身によるピアノ2台用やピアノ独奏用の編曲作品。タイトルの「ラ・ヴァルス」とは、フランス語でワルツのことであり、19世紀末のウィンナ・ワルツへの礼賛として着想され、ラヴェルの親友であったピアニスト、ミシア・セールに献呈されました。
    バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)のダンサーであったセルジュ・リファールによれば、1917年、バレエ・リュスの主宰者セルゲイ・ディアギレフはラヴェルを訪問して新しいバレエ音楽の作曲を依頼し、ラヴェルはこれを了承しましたが、曲はただちには完成せず、1919年から1920年にかけて作曲されました。
    ラヴェルは完成した舞踊詩『ラ・ヴァルス』の2台ピアノ版を、ディアギレフのパトロンであったミシア・セールの邸宅において、マルセル・メイエールとともに演奏してディアギレフに聴かせ、その場にはバレエ・リュスの振付家・ダンサーのレオニード・マシーンや作曲家ストラヴィンスキー、プーランクが居合わせました。プーランクよれば、演奏を聴き終わったディアギレフは、『ラ・ヴァルス』が傑作であることは認めつつも、バレエには不向きな「バレエの肖像画、バレエの絵」であるとして、受け取りを拒否しこれ以来、ラヴェルとディアギレフは不仲となりました。

    ラヴェルは初版に、次のような標題を寄せています。
    渦巻く雲の中から、ワルツを踊る男女がかすかに浮かび上がって来よう。雲が次第に晴れ上がる。渦巻く群集で埋め尽くされたダンス会場が現れ、その光景が少しずつ描かれていく。
    シャンデリアの光がさんざめく。
    1855年ごろのオーストリア宮廷が舞台です。

    Buona giornata!!

    #4644返信
    makiko
    モデレーター

    皆さんこんにちは!!
    今日の札幌は、穏やかな空で-3℃。連日の雪で道路は渋滞、
    忘年会シーズンも重なり、タクシー難民も出ています。。
    今日もかなり寒いです。お気をつけてお出かけください。

    1953年12月17日の今日、ショスタコーヴィチ作曲 交響曲第10番ホ短調 作品93が、指揮ムラヴィンスキー、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団で初演されました。
    ショスタコ―ヴィチは1948年のジターノフ批判で苦境に追い込まれました。
    一因のひとつとして、交響曲第9番を聞いたスターリンは、ベートーヴェンの交響曲第9番のような作品を期待していましたが、その期待とは全く異なる作品であったため激怒したことだといわれています。
    その時期には映画音楽や『森の歌』などを発表し、非難を避けるべく当局に迎合するかのようにふるまっていたようです。
    この作品はスターリン死後に発表されました。ドイツ式綴りのイニシャルから取ったDSCH音型(Dmitrii SCHostakowitch)が重要なモチーフとして使われています。
    この音型が『ショスタコーヴィチの証言』でスターリンの音楽的肖像などであるとされた第2楽章までは現れず、第3楽章になってから現れ始め、第4楽章に至るとあらゆる場面で用いられることからも、スターリン体制が終焉し解放された自分自身を表現しているのではないかとも言われています。

    作曲者自身は1947年に教え子のカラ・カラーエフへの手紙の中に「戦争三部作の真の完結編は,第9番ではなくこれから作る第10番だ」という意味深な文を残しています。
    発表後の討論会では、あえて作品の欠点を自ら述べた後に、「一つだけ言わせてほしい。私は人間的な感情と情熱とを描きたかった」とコメントしていますが、『ショスタコーヴィチの証言』では「あれは、スターリンとスターリンの時代について書いたものであった」、第2楽章を「音楽によるスターリンの肖像である」と述べていたり、終楽章の自身を表すDSCH音形の多用などから、スターリン時代を意識したものと考えられています。

    Buona giornata

    #4651返信
    makiko
    モデレーター

    皆さんこんにちは!!

    今日の札幌は-1℃。視界不良なほどの大雪です。
    この大雪と、クリスマスを含む三連休で道路は混雑、街中の人の数、半端ないです。
    今夜もタクシー難民が出そうです。
    皆さん時間には余裕をもってお出かけください。

    1806年12月23日の今日 ベートーヴェン作曲 ヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲 ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品61がアン・デア・ウィーン劇場にて、フランツ・クレメントの独奏により初演されました。
    この日まで曲は完成しておらず、クレメントはほぼ初見でこの難曲を見事に演奏し、聴衆の大喝采を浴びたといわれています。
    その後演奏される機会が少なくなり、存在感も薄れていきましたがこれを再び、ヨーゼフ・ヨアヒムが取り上げ、この曲を最も偉大なヴァイオリン協奏曲と称し、生涯亡くなるまで演奏しています。
    この曲は同時期の交響曲第4番やピアノ協奏曲第4番にも通ずる叙情豊かですが、これにはヨゼフィーネ・フォン・ダイム伯爵未亡人との恋愛が影響しているとも言われています。
    構想されたのがいつ頃なのかを特定する証拠はないですが、交響曲第5番第1楽章のスケッチにこの曲の主題を書き記したものが存在するそうです。
    創作にあたってベートーヴェンは、ヴァイオリニストでアン・デア・ウィーン劇場オーケストラのコンサートマスターであったフランツ・クレメントを独奏者に想定、彼の助言を容れて作曲していたと言われています。
    完成した時、ベートーヴェンはその草稿をクレメントに捧げましたが、1808年に出版された際の献呈は、親友のシュテファン・フォン・ブロイニングだったそうです。

    Buona giornata!!

    #4659返信
    makiko
    モデレーター

    皆さんこんにちは!!
    今年もあと残すところ2日・・・
    皆さんいい一年でしたか?
    今日の札幌は雪 -2℃。今日も交通マヒ。雪の山の撤去が追い付いていないようです。
    今日は吹雪になるかもしれません。

    1893年12月29日の今日、ドビュッシー作曲 弦楽四重奏曲ト短調 作品10がパリの国民音楽協会にてイザイ四重奏団によって初演された日です。
    評価は賛否両論だったようです。
    ドビュッシーの現存する作品では唯一作品番号付きで出版されています。
    弦楽四重奏曲は2点を作曲する予定でしたが、構想がまとまったのは本作のみでした。

    今年一年お世話になりました!!
    来年もまた宜しくお願い致します。

    Grazie per questo anno passato.
    Buon Anno!!

    #4666返信
    makiko
    モデレーター

    皆さんあけましておめでとうございます!!

    本年もどうぞよろしくお願いいたします。

    今日の札幌は快晴3℃。日差しが届き穏やかな空です。

    1881年1月2日の今日、サン=サーンス作曲 ヴァイオリン協奏曲 第3番 ロ短調作品61がサラサーテの独奏でパリで初演されました。
    ロマン派音楽における重要なヴァイオリンと管弦楽のための協奏的作品の一つで1880年に完成され、初演者のサラサーテに献呈されました。

    vi augro l’anno fantastico e stupendo 2017!!

    #4667返信
    makiko
    モデレーター

    皆さんこんにちは!!

    今日の札幌は-3℃。快晴です。
    日差しは届いていますが冷たい空気が優勢で体感は昨日より寒いかもしれません。
    一枚多く着込むなど暖かくしてお過ごしください。

    1843年1月8日の今日、シューマン作曲 ピアノ五重奏曲 変ホ長調作品44が、ライプツィヒにて、クララ・シューマンの演奏で初演されました。
    この作品は、『室内楽の年』として知られる1842年で、9月から10月にかけてわずか数週間のうちに作曲され、妻のクララ・シューマンに献呈しています。
    初期のピアノ四重奏曲を例外として、シューマンはそれまで室内楽作品を一曲も完成させていませんでしたが、突如室内楽に集中し、同年中に3曲の弦楽四重奏曲とピアノ四重奏曲を作曲しています。

    さて久しぶりの今日の言葉

    天は自ら助くる者を助く(スマイルス)

    Buona giornata!!

    #4693返信
    makiko
    モデレーター

    皆さんこんにちは!

    今日の札幌も激寒のマイナス7℃。毎日毎日寒いです。
    最大限の防寒でお出かけください。

    1932年1月14日の今日、ラヴェル作曲『ピアノ協奏曲ト長調』が、パリのサル・プレイエルにおいて、マルグリット・ロンの独奏とラヴェル自身が指揮するラムルー管弦楽団によって初演されました。
    大成功を収め、初演ピアニストのロンに献呈されました。
    ただし、初演の時の実際の指揮者は、ルイス・デ・フレイタス・ブランコといわれています。
    最晩年に作曲した2曲のピアノ協奏曲のうちの一つでラヴェルの死の6年前(1931年)に完成され、ラヴェルの完成された作品としては最後から2番目にあたります。
    ラヴェル自身は「モーツァルトやサン=サーンスと同じような美意識」に基づいて作曲したと語っています。
    作曲は1929年に着手されましたが、同年冬からは『左手のためのピアノ協奏曲』との同時進行となり、『左手のためのピアノ協奏曲』完成からさらに丸一年を経過した1931年にようやく完成しました。
    完成当初、ラヴェルは自分自身のピアノ兼指揮で初演することを望んでいましたが、自分の力量を見極めて(体調不良で医者から休養を薦められた)、ロンに独奏を任せたといわれています。
    初録音のレコードでも、ポルトガル出身の指揮者が棒を振ったのですが、ラヴェルはレコーディング・ディレクター的な立場だったにも拘らず、マーケティング面を考慮して、ラヴェルが指揮した事にされたようです。

    Buona giornata!!

    #4705返信
    makiko
    モデレーター

    皆さんこんにちは!!
    今日の札幌は曇りマイナス3℃寒いです。明日まで雪になりそうです。交通機関のマヒ
    渋滞もあり得ますので時間には余裕をもってお出かけください。

    1859年の1月22日の今日、ブラームス作曲 ピアノ協奏曲第1番 ニ短調作品15が、ハノーファにおいてブラームス自身の独奏、ヨアヒムの指揮で初演された日です。
    ブラームスの最初に作曲された協奏曲で、管弦楽曲としても『セレナード第1番』の次に書き上げられ、1857年に完成されました。
    完成当時は評価が芳しくなくハノーファー初演は一応成功したものの、5日後のライプツィヒ公演の際、聴衆は退屈のあまりに非難の野次を飛ばしたといわれています。
    ブラームスはヨアヒムに「僕はただわが道を行くだけです」また悲しげに「それにつけても野次の多さよ!」と手紙を書いたといわれています。

    1854年3月に3楽章構成の『2台のピアノのためのソナタ』として書き上げられたものが原型でしたが、ブラームスはクララ・シューマンと何度か試奏してピアノという形に不満を抱きはじめ、1854年の7月には交響曲に書き直そうと考えてオーケストレーションに取りかかりました。
    1855年2月に協奏曲にすることをひらめいたことで現在のスタイルの外形が出来上がったようです。
    この時点では、第2楽章は最終的なものとは別だったようです。
    クララ・シューマンや親友のヨーゼフ・ヨアヒムの助言を受け、彼らが納得いくまでブラームスは改訂を加えクララによれば第1楽章は1856年10月1日に完成、そしてブラームスの私信によればフィナーレは12月、そして新たに書き出した第2楽章は1857年1月に完成したようです。

    Buona giornata!!

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返信先: フリートークで#4730に返信
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