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#4743
makiko
モデレーター

皆さんおはようございます。お久しぶりです!!

今日の札幌は2℃。比較的過ごしやすい寒さです。
さっぽろ雪祭りも本日最終日。今年は開催以来最高の来場者数だったようです!

2月4日5日、開催されました 札幌コンセルヴァトワール発表演奏会も
おかげさまで盛況の中無事終了しました。
どの部も素敵な企画があり楽しめる内容でしたよ
熱演された演奏者のみなさまありがとうございました。
今年いらっしゃれなかったかたはぜひ来年いらしてみてください!!

お待ちしております!!

1924年2月12日の今日、ガーシュウィン作曲ラプソディ・イン・ブルーがポール・ホワイトマンの提案を受け、ニューヨークのエオリアンホールで開かれた「新しい音楽の試み」と題されたコンサートに向けて作曲し、そこで初演されました。

題名は「この曲は青い」という意。
元は『アメリカン・ラプソディ』という題名でしたが、兄のアイラが現在の題名を提案して変更しました。
ラプソディ(狂詩曲)は、「民族音楽風で叙事詩的な、特に形式がなく自由奔放なファンタジー風の楽曲」なので、このタイトルから、ガーシュウィンはジャズをアメリカにおけるある種の「民族音楽」と捉えていたことが窺えます。

1924年1月3日、他の仕事で多忙だったガーシュウィンが兄のアイラとビリヤード場に行った際、新聞で「ホワイトマンがガーシュウィンに曲を発注した」という記事を見つけました。
翌日、抗議のためガーシュウィンはホワイトマンに電話をかけるも、実はこの記事はホワイトマンがガーシュウィンを呼びつけるために作った偽記事だったらしく、「新聞記事になってしまったから作ってくれ」とホワイトマンに押し切られたという経緯です。
カデンツァの部分は、仕事でボストンに向かう際に乗った列車の走行音から着想を得たとされています。
ガーシュウィンは、この曲を約2週間で一気に書き上げ、当時のガーシュウィンはまだオーケストレーションに精通していなかった上、作曲の期間が限定されているという事情もあり、代わってグローフェがオーケストレーションを行ったといわれています。
グローフェは当時、ホワイトマン楽団のピアニストで、専属の編曲者も務めていました。
ガーシュウィンが2台のピアノを想定しながら作曲し、それを即座にグローフェがオーケストラ用に編曲していき、ガーシュウィン自身が弾くピアノと小編成のジャズバンド向けの版が完成されました。
その後もいくつかの版が作られましたが、1926年にグローフェが再編曲したオーケストラ版と、ガーシュウィンの死後、1942年にフランク・キャンベル=ワトソンがグローフェ編曲版に加筆修正を加えた版がよく知られています。
その後は主に1942年版が演奏されています。

Buona giornata!!

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