皆さんおはようございます!!
今日の札幌は雨、気温は10℃。昨日から少し気温が高くなっております。
そして10時20分から11時まで札幌市内中心街を日本ハムファイターズ優勝パレードが開催されています。
札幌のNHKまでどのチャンネルもファイターズ一色です。
1911年11月20日の今日、マーラー作曲 声楽を伴う交響曲「大地の歌」がミュンヘンにて、ブルーノ・ワルター指揮、カイム管弦楽団(ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の前身)により初演されました。
この年の5月にマーラーはこの世を去っており、マーラーの弟子であるワルターが指揮を担当することとなりました。
「大地の歌」というメインタイトルに続き、副題として「テノールとアルト(またはバリトン)とオーケストラのための交響曲」とあり、連作歌曲としての性格も併せ「交響曲」と「管弦楽伴奏による連作歌曲」とを融合させた交響曲としては破格の作品なのと、「9番目の交響曲」であるという点も影響し、マーラーはこの作品に番号を与えなかったようです。
ウニヴェルザール出版社から出版されている決定版総譜には「大地の歌」とだけ記されていて「交響曲」とは全く記されていないところを見ると、歌曲集としての重みも非常に強いようです。
歌詞は、李白(悲歌行など)らによる唐詩に基づき、ドイツの詩人・翻訳家のハンス・ベートゲが自由に翻訳・編集した詩集『中国の笛』から7編の詩を選び、これをマーラー自身が改変しました。
作曲の着手は、1907年の夏の説もありますが「中国の笛」は1907年10月の出版であり、それ以前にマーラーが目にした可能性は低く、1907年着手説には、同年夏にマーラーの長女の死、マーラー自身の心臓病、さらに歌劇場辞任と事件が重なったことを『大地の歌』作曲の動機に直接結びつける意図があると考えられます。
また、初演を指揮したワルターは、「…『大地の歌』の初演は最も貴重な芸術上事件として生涯忘れることはできない。それは、マーラーが残してくれた、私自身にとっても極めて大事なこの作品の初演の責任を感じていたことであり、さらには、私が師に代わって行う事を感じていたことなどが理由である。また、初演で、彼から私にゆだねられたスコアがここに初めて感動的な音楽の響きとなるや、故人の有り様を痛ましくもまた身近に感じたからだ。…」とその時の思いを回想録「主題と変奏」に書き残しています。
Buona giornata!!

