皆さんこんにちは!!!
今日の札幌は今日もどんより。。。。15℃ですが夜は毎日肌寒いです。
1824年5月7日の今日、ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調Op.125がベートーヴェン立会いの下、ウィーンのケルントネル門劇場においてミサ・ソレムニスの「キリエ」「クレド」「アニュス・ディ」、「献堂式」序曲とともに初演されました。指揮はミヒャエル・ウムラウフ。
当時のウィーンではロッシーニのオペラが流行していたため、ベートーヴェンは当初、ウィーンの聴衆には自分の音楽がそぐわないと判断し、ベルリンでの初演を希望していましたが、ベートーヴェンを支援していたリヒノフスキー伯爵らの計らいでウィーンでの初演を求める嘆願書が作られ、ベルリン初演を思い留めたといわれています。
ベートーヴェンは当時既に聴力を失っていたため、ウムラウフが正指揮者として、ベートーヴェンは各楽章のテンポを指示する役目で指揮台に上がりました。
ベートーヴェン自身は初演は失敗だったと思い、演奏後も聴衆の方を向くことができず、また拍手も聞こえなかったため、聴衆の喝采に気がつかなかったといわれています。
見かねたアルト歌手のカロリーネ・ウンガーがベートーヴェンの手を取って聴衆の方を向かせ、はじめて拍手を見ることができたようです。
観衆が熱狂し、アンコールでは2度も第2楽章が演奏され、3度目のアンコールを行おうとして兵に止められたという話まで残っています。
このように「好評」の逸話が残る初演でしたが、その根拠は繰り返された喝采やアンコール、会話帳に残るベートーヴェン周辺の対話におかれており、「ベートーヴェンの愛好家ばかりが騒いでいた」という否定的な証言もあります。
ソプラノソロのゾンタークは18歳、アルトソロのウンガーは21歳という若さに加え、男声ソロ2名は初演直前に変更になってしまい(バリトンソロのザイペルトが譜面を受け取ったのは、初演3日前)、
ソロパートはかなりの不安を抱えたまま、初演を迎えたようです。
さらに、総練習の回数が2回と少なく、管楽器のエキストラまで揃ったのが初演前日とスケジュール上ギリギリであったこと、演奏者にはアマチュアが多く加わっていたこと(長年の戦争でプロの演奏家は人手不足。
初演の企画段階でも「ウィーンにはコンサート・ピアニストが居ない」また、当時のプロの音楽家養成機関が未整備で、宮廷オーケストラの類を除くと、「プロ・オーケストラ」は民間に存在しないばかりか、民間のオーケストラは、宮廷楽師や独学のアマチュアなどが混在したもので、演奏水準が非常に低かったようです)と語られており、加えて合奏の脱落や崩壊を防ぐためピアノが参加して合奏をリードしていた事実から、演奏の完成度には疑問。
過去1809年の『合唱幻想曲』の初演では実際に合奏が崩壊し、最初から演奏し直したようです。
その後、ヨーロッパ各地で何回か演奏されましたが、全て失敗。
そして「駄作」「演奏不可能」という評価が定着してしまい、第4楽章がその前の三つの楽章に比べて「異質」とされ、「長大すぎる」ということで演奏機会に恵まれなくなったようです。
実際にベートーヴェンも初演の後、第4楽章を器楽のみの編成に書き改めることを計画しましたが、1827年まともに評価されることなくベートーヴェンは死去したと言われています。

