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≪《疾風怒濤の教育 (クオーレ.3)》
~~持つべきは良き友・素晴らしい生徒は人生の宝もの~~
お盆に音楽院の鍵が故障し,練習中の生徒が中から出られなくなる場面がありました。
鍵屋の友達にTelしたところ自宅でお盆休みを過ごしていたにも関わらず,直ぐに駆けつけて生徒を救出してくれました。
この間,約1時間半です。(持つべくは良き友)を改めて実感した日でした。
丁度,神吉ひかるチャンが音楽院に来ていたので目の前で「人つながりの大切さ」を理解してもらう事も出来ました。齢(よわい)を重ねるにつれ浮かび上がる涙と共に味わった心(Cuore)の物語の続きを少しだけ箇条書きにしてみます。
①奈落の底に突き落とされた私を絶望の淵から救済して下さった桐朋学園の恩師達の偉大な心。
②札幌コンセルヴァトワール校舎新設と未来への先駆けとして「上杉春雄ピアノリサイタルと3枚のCD発表」⇒「医師とピアニスト」二つのプロフエッショナル誕生の物語を東京のサントリー大ホールで行った際に全力で助けて下さった恩師の息子さんの心。
③プラハ国際コンクール審査員に陽子先生と出かけた際にパリでプラハ行きの飛行機が雷に合い5時間以上遅れたことがありました。
旅慣れを過信し生憎,プラハ空港で出迎えてくれる3人の生徒の連絡先などを失念しガーン状態。
陽子先生とプラハ空港のロビーで一夜を明かす覚悟でパリを発ちました。
ところが到着したプラハ空港の到着口には「宮澤先生~~と手を振る6つの瞳が!!」、、、何と真夜中の真っ暗な空港ロビーで5時間半待っていてくれたのです。
私には6つの瞳が小説「24の瞳」以上の瞳に思えました、、、この時の3人の瞳と心は今でも忘れられません。
④音楽院の研修旅行で生徒達を連れて行く事を知らせたところ200Km先から「私とフランクのピアノ五重奏曲を共演し生徒の皆様に演奏のプレゼントをしたい」と駆けつけてくれたシュターミッツ弦楽四重奏団の心。
⑤書き出したら限りなく瞼を過ぎるこの様な「心」の物語は自分の子供と生徒たちの為に矢張り書いて残したいと思っています。なぜなら人は一人では何も出来ない存在だからです、、、
夢も希望も憧れの実現も日常的な人と人との関係性に於いて初めて可能になり実現することだと思うからです。
⑥もしかしたら「疾風怒涛の教育を掲げて頑張っている私の姿」を周りはいつも不安に思い心配していたのかも知れない??と思う今日この頃です(笑)宮澤功行モデレーター《疾風怒涛の教育(番外編 1)》
PTNAコンペテションで金賞・一位の先生には特別指導者賞のCommentを求められPTNA機関誌に掲載されます。
字数が決まっていますので字数に納まらない分を書き込んでみました。
私は「F級・三田有輝也とアミューズ有田医師」の二人についてです。
【三田有輝也君は棚瀬美鶴恵先生の愛弟子で先生の精緻で音楽的なLessonにより大きく成長されこの度,金賞を受賞されました。
セカンドオピニオン先生の私は通常のレッスン以外に彼の内面的変化を考え昨年モスクワ中央音楽院のオフチニコフ学長をモスクワに訊ね有輝也君のレッスンをして頂きました。
その後Tchaikovskyの故郷クリンの春音楽祭でミニリサイタルを行うなどの体験を積み重ねることで性格も明るく積極的に変わり,それと共に音楽も本質的なものへと飛躍して行きました。
(可愛い子には旅と試練)と云うテーマは私の(疾風怒涛の教育)の根底に流れていますが「実体験型音楽研修旅行」に連れて行き本当に良かったとの想いを彼の演奏を聴きながら振り返っていました。
弾き終えたロビーで「棚瀬先生と私と三田君の三人で求めてきた音楽を立派に表現できた事が賞を超えて嬉しい、、、」と伝え会場を跡にしました。一方,グランミューズ第一位の有田医師はその昔,私が手掛けた上杉春雄(神経内科医)東京サントリー大ホール・デビューリサイタルの影響で当音楽院へ入られました。
これは日本で初めて(医師とピアニスト)二つのプロの誕生として各種マスコミに取り上げられました。
この大成功を収めた先生としての物語を経て故・福田靖子先生にアミューズ部門を世に先駆けて開催する事を提案し,第一回を先生とご一緒に審査した事は今でも私の懐かしい想い出の一つです。
有田医師は私の思い入れの強いこの部門に6年間挑戦し今回第一位になられましたが,優れた演奏を希求し粘り強く学ぶ姿にいつも敬意を表しています。
三田君と有田医師への受賞を感謝しPTNAの今後なお一層の発展を祈念申し上げます。
上野学園大学客員教授
PTNA評議員・札幌コンセルヴァトワール院長;宮澤功行】私は35回目の指導者賞の授与をPTNA(全日本ピアノ指導者協会)へ心より感謝しています????
今年も都道府県・参加者の素晴らしい演奏に接し大変勉強になりました。
参加することに最大の意義があるのはOlympicと同じですがCompetition(コンクール)である以上,結果が思わしくない級については(どのProcessに問題があったのか?)を反省して今後の生徒指導に役立てたいと思っているところです。
私たちピアノ指導者は生徒に秘められている才能を引き出し開花させる役割りを担っています。
なので毎年結果を冷静に受け止め,それを精査して次なる挑戦への糧にしています。
善し悪しを決して他のせいにせず自身の中に受け止めて前進してきましたので審査するより私は常に挑戦者でありたいと思っています。
この魂無くして来年の36回目はあり得ません、、、明日からは毎日学生コンクール等まだまだ続く挑戦者の旅が始まります。宮澤功行モデレーター《疾風怒涛の教育(番外編 2)》
日暮し硯(スズリ)に向かってい無いので,久し振りの投稿になります。
昨日,東京から我が家の特殊で変わった子育て方法が掲載されている本が発売されました。AERA with Kids(アエラ ウィズ キッズ) 2016年10月号
多分,何%かは宮澤夫妻の子育ての方法を知りたいと思っているのかも知れません?。
なぜなら人生で最も重要である筈の子育てに悩み失敗している人達が余りにも多過ぎるからです。
良いヒントになればと思い《疾風怒涛の教育》の連載をしていますが疾風怒涛の教育を参考にしたとしても,矢張り何となく上手く行かない人達は沢山います。
何故でしょうか??その理由を少しあげてみます。
①世の固定観念に囚われ縛られていて,その教育の考え方がこびり付いている人。
②既成概念からはみ出す勇気が無い人
③冒険や夢へのリスクを恐れ「安心・安定・安全」が一番と考える人
④経済的な価値観を全てに優先する人
⑤失敗する前に心配過多。リスクや不平不満ばかりが先に出てくる人
⑥出来ないと決めつけ出来ない理由と理屈ばかり述べる人
⑦夢・憧れ・理想を強く持たない人
⑧何よりも「努力」を余りしたくない人
⑨その他,色々あると思いますが一回限りの人生を私の様に考えて歩むと人生は面白い事は間違いないです。*、最近の疾風怒涛の教育の成功例(これは共産国家だったソヴィエトでは絶対に不可能だった事々です)。
《一昨日,松谷直巳くんが無事モスクワに到着しモスクワ音楽院の寮に入りました。 取りあえず試験までは一人部屋で、毎回モスクワでお世話になっている小林さんが両替や携帯電話、その他日常で必要なものなどのショッピングにお連れして下さいます。
今日モスクワ音楽院に行き入試に向けた説明などを受けることになっています。そして一夜明けた今日ロシア語を習得するための予備科に合格し,合わせて行われたピアノ科に向けての演奏試験でモスクワ音楽院のピアノ科合格への力量が認められました。》との報告Messageを受信しました。
*、現在モスクワ音楽院ピアノ科主任教授のピサレフ氏招聘から約20余年。
モスクワとコツコツ積み重ねてきた音楽交流が増田先生始め関係者の御尽力で完璧な形で発展している事が大変嬉しいです‼️
????????????札幌Conservatoire????から館石侑里香ちゃんに続く二人目のモスクワ直接留学です。
????????不可能を可能にしていく教育こそが疾風怒涛の教育の根底です。
松谷くんのお母さまから
【宮澤先生
おはようございます。昨日、直巳から試験に合格したと連絡をうけました。初めての海外にもかかわらず無事に到着し全てがスムースで,安心して試験を受ける事ができ、今回お世話になりました増田先生はじめサポート頂いた皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、何より宮澤先生の存在がなければ決して実現する事はなかった事です。本当にありがとうございました。
これから直巳には、宮澤先生の様に夢を実現出来るチカラを持っていける大人になってほしいと願っています‼️、、、、松谷】とのMailを受信しました。宮澤功行モデレーター≪疾風怒涛の教育 番外編3≫
アエラwithキッズに掲載された息子の記事の反響が大きかったので驚いています。
AERA with Kids(アエラ ウィズ キッズ) 2016年10月号(読者のW・Mさま)
アエラキッズ読み素敵なお話に感動しました。
宮澤先生の子育ては突き抜けています。普通の親はそんな勇気も考えも行動力もなく無理な話ばかりでした。
なので弦くんやMusicaちゃんのような才能が育つのだと納得しました。
ご飯のお話も興味深かったです。マイ中華鍋の話は弦くんから聞いたことを思い出しました????、、、素晴らしいお話をありがとうございました????????????
(A・Hさま)
私も購入して読みました。(*^_^*)
子育てにとても大事なご両親の姿勢というのでしょうか、そういうものが弦さんへのインタビューで,お子さんの側から語られていました。
とても素敵に素晴らしく育たれているMusicaさんと弦さんを見れば なるほど確かにと納得のいく教育方針ですね!
是非子育て中の方は参考になされば良いのではと感じました。
ちょっと変わっているお父様とノンビリお母様(^ー^)ノお二人とも熱烈なるお子様のフアンであり、それでも決して手抜きはされない育て方。理想的なんですね(*^_^*)
“論より証拠 “なので説得力ありありです。
(A・Tさま)
先生の当時ですと 誰も考えもしない斬新な考え方と その実践だったでしょうね。今でも しっかりとした信念が必要ですね。(その他,沢山の方々から感想が寄せられていますので私信を少々書いてみます)
*,私の時代は戦後間もない時代でしたから所謂「軍隊上がりorその影響下に育った先生」が多くビンタや棒で殴るのは日常茶飯時、、、今の様な教育方法・コーチングのマニュアルも無かった時代でした。
封建的な家父長制や先生への絶対服従的体質が根強い世の中の流れでしたから「漫画家,Pianist,小説家,国際人,などには私の方法が最善」と思っても実践するにはかなりの勇気と努力が必要でした。
『智に働らけば角が立ち情に棹(さお)させば流される』のは夏目漱石時代から同じですから世の趨勢に逆らうのは大変です。それ故に「私は皆と違うが自分が信じる方法で育てる」との決意表明を掲げる必要が在ったと思います。
そしてこれにそって子育て&生徒育ての両方を全く同じスタンスで臨みました。先ず(1).時間と空間を超えた教育、、、大多数が時間(現実)、空間(自身のテリトリー)を越えられないで現実を這い蹲って,あるいは現実に飲まれて生きています。
⑵.子供の点数にこだわらず偏差値よりは(変だ値)を重視、、、大多数が点数にこだわり結果的にスケールの小さな人間に育ててしまっています。
(3).旅の活用(Mozartの《旅をしないと人間ダメになる》に習う、、、遊びの旅が大多数で何か確り目的・目標のある旅は少数派。
⑷.自立・自尊・自己責任・型の欧米では主流の子育て、、、日本的教育は甘えの構造で出来ていますから他力・他尊・無責任に陥りやすいです。
⑸.教育投資・教育奉仕を否定し新たに教育消費を実践,子育てに関する全てを楽しく,愉しんでする、、、経済合理主義あるいは拝金主義に迎合する人には教育消費という考えは思いつきません。大多数は子供に対して教育投資という考えです。
⑹.私の両親はVocabularyを選び全く叱る事無く育ててくれましたので,これも倣いました。つまり子供のフアンになる決意。、、、コーチングや近代教育法を知れば叱ることは全く皆無で子供達との良い関係が築けますが世の中はこの反対。
引きこもりの若者が70万人がこの事を証明しているかも??*、アエラwithキッズで息子がこの教育の結果を語っているのが嬉しいです。
Pinoの分野では例えば干野宜大先生の様に幼少時代の才能が他と全く違い飛び抜けている子供達には当時の方法論ではチエルニー30番・40番・50番・ケウsラーやモシェレスの練習曲それから????????Chopin&Lisztの練習曲をして、、、それからやっとメフイストワルツ、数年後にRachmaninoffが常識でした。あの時代に私は才能ある干野宜大先生には小3でメフイスト、そして小6でRachmaninoffのピアノ協奏曲3番です。
この既成概念を突き抜ける方法がPTNA指導者賞35回につながっているのは言うまでもありません。今はこれが常識に変わってきています。*それにしても上には上、、、下記に掲載のNewsを読むと私以上のチャレンジャーも世の中にはいました!!
http://ddnavi.com/news/320587/a/
600万人が選んだ無料ニュースアプリ『SmartNews』
http://bit.ly/smartnews-app宮澤功行ゲスト疾風怒濤の教育への投稿が久し振りになり済みません????????
第二の疾風怒濤の教育本の為に続きを書いていこうと思いますので私の FBと合わせて読んで頂けたら嬉しいです。
さて、最近のFBサイトに私とロシア????????との音院交流のことを掲載していますが想い起こせばそれは1991年のソヴィエト崩壊から始まりました。
国が崩壊し音楽家へ給料は支払われず、演奏会も無くなりソヴィエトの音楽家が西側諸国に助けや援助を求めてきました。
東京のPTNAからはPianistのアンドレ・ピサレフ氏とヴァイオリニストのアナスタシアさんの演奏会や個人レッスンの会を開催して頂けないか⁇と打診があり引き受けたのがロシア????????との音楽交流の始まりです。
PTNA北海道支部長・石川越章氏の多大な協力を得てやがて(Moskva音楽院ピアノ科主任ドレンスキー教授と生徒たち)と云う演奏会を開いたり、ピサレフ氏とアナスタシアさんの演奏会を札幌などで数回開催し、また二人のCDとDVDを札幌発で製作する事などしていきました。
この流れの中でESC(日本????????ロシア????????交流協会)の増田先生と出会い札幌Conservatoire????とロシア????????の音楽交流は次第に加速していきました。
私はロシア????????がこんなに早く国力を回復するとは思ってもいませんでしたが相変わらずロシアの????????音楽文化には惹かれていました。
やがてより有意義な交流を目指しConcours Schule(学びのconcours)を創設しMoskva音楽院、Moskva中央音楽院、グネーシン音楽院の教授たちが札幌Conservatoire????で演奏会や個人Lessonの会を度々開催する運びになりこの催しは現在も順調に続いています。
さらに当音楽院からMoskva音楽院へ留学、Moskva近郊にあるTchaikovsky記念館で音楽院生徒たちが演奏会をさせて頂いたりピアノ協奏曲をMoskvaのオーケストラと共演する迄に音楽交流は発展しています。
今思えばソヴィエト崩壊の時にピサレフ氏(現在はMoskva音楽院ピアノ科主任教授)などの音楽家を引き受ける決断をしなかったなら今の良好な音楽院交流は考えられもしない出来事だと思います。
何故なら私の学生時代からMoskva音楽院はピアノを学ぶ者たちの憧れで、それは遥か彼方のエベレスト山の様に気高くそびえ立つ音楽家の殿堂でした。
世界を凌駕し驚かせているそのRussian pianismは当時西側にとっては極秘のveilに包まれていたピアノ奏法でした。
交流の中で当音楽院へTchaikovsky国際コンクール審査委員長でMoskva中央音楽院学長のウラジミール・オフチニコフ氏が来られ、彼が札幌Conservatoire????の玄関に入った最初に『此処には音楽があります。、、、音楽院交流を促進しましょう‼️』と芸術家の鋭敏な感性で当音楽院の空気を読んでの発言に札幌Conservatoire????を創設した私は我を忘れるくらい嬉しかったのを今でも時折想い出し元気と勇気をいただいています。
現在私達が努力を積み重ねてきたこの流れで館石侑里香さん、松橋凌大くん、中山拓樹くんなどがMoskvaで素晴らしい教育を受けられている事に感謝と感動をしています‼️(続く)宮澤功行ゲスト【音楽や芸術に関する(コンクール)を受ける生徒と受けさせる先生方へ】
私の時代には毎日学生コンクールと地方のメデアが主催するコンクールしかありませんでしたが近年続々とコンクールが誕生し今や両手両足で数えても足りないくらいコンクールが創設され、しかも年間を通して必ず何処かでコンクールが開かれています。
しかしながらその中には前世紀を引きづっている様なコンクールもあり、明らかに奈良判定が疑われたり日大アメフト監督の様に(アイツを潰してやる)も可能と感じるコンクールもあります。
なので受ける生徒も受けさせる先生も選択肢は多くなりましたが本当に慎重にコンクールを選ばなくてはならない時代を迎えていると思います。
長年の体験上、選び方を間違えると矢張り子供の才能を潰す結果になりますし受けさせる先生が自身の功名心の為に何でもかんでも良く考えないで受けさせているとやがて生徒離れが加速し先生自身も潰れて行きます。
やはり芸術世界は曖昧な価値観で評価がされ易い分野なので音楽をコンクールにするならば基本的に公正公平を掲げ審査方法もそうなるように運営しないと駄目だと思います。
私はヨーロッパの国際コンクール審査員を20数年務めてきましたが審査などが秘密裏になされ結果が可笑しなのを(マフィア的concours)と彼らは言います。
私は国内でも毎日学生、PTNAなど沢山のコンクールの審査員を勤めておりConcoursの審査方式については様々な方法がある事も知っています。
審査の方法の代表的なのを挙げると。
⑴一般的には25点を満点として各審査員が思い思いの点を付け、その点を演奏終了後に審査員全員に示された上で順位検討の会議が始まります。
しかし中には誰が何点付けたかを㊙️にするコンクールもあります。
⑵普通、審査委員長は自分は余り主張せずに審査員全員の意見や考えの聞き役に廻り揉めた際に最後に裁定を下します。
しかし中には審査委員長が殆ど一方的に自分の考えを主張し独善的に決めてしまうコンクールもあります。
⑶またPTNAの様に審査員全員の点数を公開し講評を参加者に渡すスタイルを取り公平公正をうたっているコンクールもありますが、これはかなり先進的な考えだと思います。
私は PTNAに長年参加してきましたが改善改革を重ね今やコンクールとしてかなり洗練されていると思います。
日本のコンクールの中にも完全秘密主義で審査など一切公表公開しないのもありますから、、、。
⑷以前FB Timelineにも書き込みましたが点数を今だに相対評価で付け続けている札幌新人concoursの様なのもあります。
相対評価は仮に参加者が100人で5点を満点とした場合、予め5は2人、4は20人、3は56人、2は20人、1は2人と決めて付ける方法です。
このスタイルだと審査員の誰かが1点を付けたら参加者は合格出来ないと思いますし悪意でそう付ける審査員が居ないとは限らず疑念を持たれる仕組みなのは確かです。
それは今、日本で問題になっている奈良判定を疑わせる事にもなりますし日大アメフト監督の(あいつを潰してしまえ)発言に酷似して捉えられることになってしまいます。
残念ながらこの様なコンクールも実際にあるのが現実です。
国際コンクールでさえも審査員が自己主張を曲げず結果をごり押しする場面がありProf.で喧嘩になる場合もあります。
どのコンクールに於いても肝心要なのは点数の付け方であり参加者はその結果に従うしかない訳ですから主催側には熟慮して頂きたいといつも思っています。
芸術の世界のコンクールでは公正公平は既に綺麗事に聞こえてしまう様なコンクールラッシュの時代です。
充分気を付けて参加して頂きたいと思います。
《つづく》宮澤功行ゲスト3月17日のヨーロッパ音楽研修旅行に向けて私のpresentationより
{本の山に埋もれて育った子供時代、涙を流しながら読んだ本の中にディッケンズの『二都物語』があります。1ドル360💵円時代、PCやSNSなどは未知の夢世界。
TVも📺無く📻RADIOから流れる異国への憧れは次第に強くなり(いつの日か行く‼️)と決めたのがその後ずーっと私の生きるモチベーションになりました。
そんな時代に最初に一人でParisを訪れた日は嬉しくて興奮して1日でエッフェル塔、凱旋門、ノートル・ダム寺院の上まで登ってParisを眺めまわし翌日はベルサイユ宮殿まで足を運びました。
Parisを一人で満喫してからWienに入り今度はWienのオペラに圧倒されホテルで酷いculture shockに苛まされ打ちのめされました。
暫く立ち上がれないくらいの文化的音楽的な衝撃をこの二つの都市から受けた私。
(中略)
努力を重ね叡智を傾けヨーロッパ音楽研修旅行を提唱し✈️実践教育の一つとして今日まで繰り返し続けてきました。
このBlogの疾風怒涛の教育にも記していますがその成果は計り知れなません。
私的には子供時代に憧れたWienで👩🏻陽子先生が二年娘がParisで6年学んだことがその後の家族の人生を実に素晴らしいものに変えて行ったと思います。
6人の老人(私たちの両親と私の母の両親)を介護し看取りながら築き上げた今は(人生って何て素晴らしいんだろ‼️)うと伝えずにいられません。
今思うと焦ったら全ては駄目になり無に帰したと思える瞬間に何回も遭遇しましたが結婚スタートの際に『poco a poco(少しずつ)でも良いからお互い生きるセンスを高めたり深めたりしながら生きていこう』と決めたのが良い結果につながったと思います。
人生は長いようで短いです。
もし良いと思われるところがあればそれを取り入れて生徒たちとご父母の皆様にも音楽教育を通して夢にあふれる素敵で素晴らしい人生を築いていって欲しいと思っています。 - 投稿者投稿