- このトピックには56件の返信、3人の参加者があり、最後に宮澤功行により1年、 4ヶ月前に更新されました。
- 投稿者投稿
- 宮澤功行モデレーター
《疾風怒涛の想い出 その⑴》
????????????尊崇して師事していました恩師の井口愛子(桐朋学園ピアノ科主任教授)は優れた音楽と演奏の追求に関して大変厳しい先生でした。
その厳しさに涙を流す学生多数、、、私もその一人でした。
高校時代から東京の愛子先生宅までLessonに通い桐朋学園ピアノ科に入学しましたが厳しさは変わらず。むしろ入学してからの方がより厳しく感じました。
この厳しいLessonが大学終わるまで続くなら私の精神が持たないと思い大学1年の時ボリショイOperaの(エフゲニーオネーギン)のチケットを親友と徹夜で並んで二枚を買い1枚を愛子先生にプレゼントしデートに誘いました。
〈当時はITもチケットピアも無くチケットは販売所の前に並んで買うスタイル。良い演奏会やOperaのチケットなどは2日並んでも買えない時もありました〉
なので,このチケットを購入出来た大変さは直ぐに分かってくれて何と厳しい担当教授とOpera鑑賞デートと相成りました。
東京文化会館の隣りの席で愛子教授がOperaのあらすじや曲の感想を話してくださり私的には落ち着いて鑑賞とは行きませんでしたが帰りには高級寿司店でご馳走してくれたり何よりもその後のLessonが毎回楽しくてたまらなく変わりました。私にとってデートは大成功&大正解でした。
当時の私はかなりの田舎っぺで欠食児童に思われていた節もあり毎回Lessonが終わるとお土産にお菓子や果物を持たせてくれたり手作りの美味しい料理をご馳走になったり‼️です、、、まるで今の大学のLessonの光景とは間逆のLessonの情景が続きました。
私は今でも当時の桐朋の先生方のLessonを懐かしみ,とてつも無い貴重な学びを施して頂けた事に????????心から感謝しています。
この様に他の学生とはまるで違う個性で伸び伸びと明るく元気いっぱい学んだ学生時代だったので,その後社会で私が打ちのめされた際にも桐朋時代の教授や友人が常に救済してくれました。矢張り何事もある種の成功を収めるにはcommunicationと信用・信頼が大切でそれに欠けるなら誰も見向きしてくれないと思う今日この頃です。
私の時代には無かったFacebookやLineなどSNSを有効活用するとまだまだ明るい未来が築ける感じがしています。宮澤功行モデレーター《疾風怒涛の想い出 その⑵》
【お化け????屋敷】
桐朋の2年の学園祭に友達数人と集まって何か面白いimpactのあることをしようと話し合い(お化け????屋敷)を教室につくろうと決まりました。
せっかく創るなら絶対に心に残り互いの脳裏に永遠に刻まれるものにしよう‼️と皆気合い充分????????。
机と椅子を迷路のように配し真っ黒なピアノカバーで机と椅子をおおって迷路を創り上げ,暗い凸凹通路にしたところまでは順調に上手く行きましたが肝心のお化けが不在。
ならばとばかりrent-a-carを借りて都内を走り周って物色し,先ずは壊れたマネキンの腕・脚・胴体・首を譲り受けて学園に持ち帰りお化けに加工。
それでもアクセント不足⁇ お化け屋敷としての象徴的な何かが足らず、、、期日は迫って来るのにこのままでは屋敷に入っても誰も驚かないなぁ〜と困り果て結局,桐朋のある仙川の肉屋さんに頼んで大きな血がしたたる牛の生首をお化け屋敷の象徴としてゆずり受け飾ることにしました。
BGMは私がScriabinの神秘和音を駆使して世にも気持ち悪い音楽を作曲。
後にN響の主席コントラバス奏者になったNくんやクラリネットの名手などと私のピアノで,この(世にも気持ち悪い曲⇨お化け????屋敷のためのBallade)を演奏して録音。
この曲をエンドレステープにかけて屋敷の中と外で流し続けることにしました。
苦労して創り上げたお化け????屋敷の前評判は上々。
いざ学園祭の幕が開くと何とお化け屋敷の前は長蛇の列、、、盛況に喜ぶ間も無く余りに複座な迷路にした為お客様が詰まって出てこれず,まるで教室の中が悪質便秘状態になってしまいました。
それでも最初の内は長蛇の列のお客様を相手に綿あめを売ったりファゴットのIくん等は靴磨きをしたりして楽しんでいましたが長蛇の列は途切れず続き苦情が出てきました。
止む無く最初は入って出る迄15分もかかっていたのを次第に迷路を簡素化して最終的には5分で出てこられる様にしました。
入場料は100円なので絶対に元は取れないと思って始めましたがお金がバケツに面白い様に貯まり,桐朋祭が終わってから牛の生首を間に合わせて持って来てくれた肉屋さんから牛肉を大量に買い込んで多摩川にてBBQをしました。
友と私でお化け????屋敷の設備をセットして代わる代わるに巡回しての運営。
その他に桐朋フェスティバル管弦楽団(桐朋生は通称ボロオケと呼ぶ)と協奏曲を共演したりして大いに盛り上がりThe ENDとしました。
因みに祭りの期間中,飾っていた牛の生首は声楽の教授が庭に飾って皆んなとの想い出にしたいとおっしゃるので鎌倉のS教授の庭に運びました、、、数年後にS教授を訪ねたところまだ庭に生首が鎮座してあったのに驚きました。
学園祭は(何でも皆んなで一生懸命やると必ず受け入れられる)と云う教訓を私に与えてくれました。宮澤功行モデレーター《疾風怒涛の想い出編 その⑶》
良く人から『宮澤先生は何でも成功させて歩んで行く人生ですが失敗は無いんですか⁇』と言われます。
実は失敗は語らない,書かない様にしているから成功ばかりしている様に思われていますが失敗をあげたら限り無くあります。
特に海外では数え切れません。
英国で(おあいそ)の為テーブルで会計をと思い係りに(ビルプリーズ)と言うとビールを持って来られ会計が中々出来なかったり,ザルツブルクで水を頼む為に(ヴァッサ ビッテ)て言うとbutterが運ばれてきて何度試してもテーブルの上のbutterが増えるばかり,しょうがなく諦めて日本語で(みず)と言った途端、水が出て来てやっと喉を潤せたり,Wienではタクシーのお釣りの失敗。
Wienでは大きなお金(例えば1万円)で払うと小さいお金からお釣りが返ってきます。
日本は間逆で最初は5千円のような大きなお金から返ってきます。
知らなかった為日本的には5千円をチップにしていた事など限り無くあります(笑) 今ではどれも苦笑い的な失敗談ですが、、。
学友とは音楽に面白さ愉快さをplusアルファーで添える訓練と称しHumor&Jokeもかなり磨きました、、、駄洒落は友同士で言い出したら止まらずです。
今や有名な友とはある日の夜、学校の3階の練習室での休憩時にふと二人で一階の庭を見ると仲良くイチャいちゃしている学生カップルが???? ????、、、ドチラからともなく『熱冷ましてやろう、練習させよう』となりバケツに水を満杯に入れて下の学生カップルに浴びせ掛け何食わぬ顔で練習室に戻って練習を再開。
間も無く血相を変えた後輩カップルが部屋をノックして《私たちに上から水掛けた奴知りませんか?》と、、見るとビショ濡れ、、『(^_^;)いや〜〜我々はこの部屋で一生懸命練習していたから知らないね〜〜*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)’・*:.。. .。.:*・゜゚・*、、誰だそんなことするのは‼️』と同情的な応答。
まあ硬軟織り交ぜてHumorとJokeを磨き上げての今日です。
芸ごとは真似する(真似ぶ⇨学ぶ)が基本ですがこれは決して真似ないでくださいね。
こうして音楽家の日常性を覗くと兎角Classic音楽の世界は硬い敷居が高くて馴染め無いと言うことは決して無い事がお分り頂けるかと思います。
因みに????????陽子MAMAは私に良く『貴方と生活していたら人生飽きないです』と言います。(笑)(^_^;)宮澤功行モデレーター《疾風怒濤の教育 その⑺先見性》
日本の音楽教育も私の頃を思うと隔世の感がありますが学生時代から桐朋生は沢山留学して行きました。
当時1$????は固定で360円,飛行機も60万円位でしたから教員の母の月給ではAmerica????????やFrance????????では一週間しか暮らせない時代でした。
留学して行く同窓生を指をくわえて羨ましく見送りつつ私は可能な限り日本でglobalな音楽世界を追求して行く決心を固め????Pianoの指導を開始しました。
But.(念じれば叶う)(求めよさらば与えられん)の通り,やがて円が急騰し欧米に行くのがスムーズになってきました。
それを待ち焦がれていたように私の活発なヨーロッパ音楽追求の旅が始まりました。
そして数え切れないヨーロッパ体験を重ねる内に音楽➕語学の教育は矢張りなるべく早く本場で学んだ方が良いと考えるようになり即実行に移して行きました。
何故なら当時の日本の語学教育は欧米で全く通じないレベルで日本の音大を卒業しても欧米の音大では駄目でした。
つまり通用せず卒業が出来ないんです。
まあ留学しようが日本で学ぼうが結局は本人次第なのですが私の生徒の90%は留学して成功していると思います。
その成功例としては①飛び級で卒業 ②音大➕語学大学の二つの大学を卒業したようなnatureな語学力 ③欧米でRecitalや様々な音楽活動を展開 欧米の音楽院に就職 ④国際concoursで優勝や上位入賞 ⑤友達と先生がinternational(国際性豊か) ⑥授業料が極端に安い ⑦ ヨーロピアンセンスが身に付き磨かれる ⑧ 国際concoursの審査員を20年余りに渡り務める ⑨ etc
この内,⑥に関してですが日本の私立の音大➕音高で7年間学んだ場合2千万円くらいかかりますし芸大系でも授業料が年に80万。
私のFacebookのTimelineに度々登場する徳田貴子ちゃんは大学➕大学院を全てAmericaのscholarship(奨学金)にて無料で卒業。なので英語もペラペラ、、、。
ドイツは授業料は無料。Franceやベルギーは年に2万円。北欧に至っては大学生には学習費用が支給されたりします。
現在Praha国立音大の大学院に在学中の後藤絵理さんのお母様に『授業料は⁇』と尋ねましたところ《全く無料なんです》との答え。チェコも無料なんですね〜〜
兎に角その人,その家庭の経済的な事情で日本の数分の一の学費の音大を選ぶことが出来ます。
確かにジュリアード音楽院や英国王立音楽院など日本より高い授業料の音大もありますが返済の義務が無いscholarshipで無料で学べる道が大きく開けています。
現在,国際化の重要性が叫ばれていますが私の疾風怒濤の教育はそれを40年前にすでに実践しており今やその教育成果はglobalな世界て花が開いています。
下記は日本の音大の授業料ランキングのURLです。欧米のを検索し比較検討してみる事をお勧めします。
http://www.daigaku-gakuhi.com/ondai.html宮澤功行モデレーター《疾風怒濤の教育 その⑻》
日本の陶磁器が欧米の窓辺や食器棚に飾られているのとは逆に日本ではウェージウッド,アウガルテン,バカラ,リモージュ,ロシアンセーブル,マイセン,etcなどが食器棚を飾っています。
これは両極で東洋への憧れ西洋文化への羨望を表していますがヨーロッパの文化が女帝によって築かれた事も示しています。
☆イタリア人のカトリーヌ・ド・メヂチ(太陽王ルイ14世の母),マリー・テレジア(オーストラリアのハプスブルグ家の女帝),英国のエリザベス女王,ドイツ人ですがペテルブルクのエルミタージュ美術館を創ったエカテリーナ女王、、、etc。
王様の呼び方も英語ではチャールズ,スペインではカルロス,ドイツではカール,と違いますが戦争を避ける為にヨーロッパ各国の王室は親せきどうしです。
私が訪れたルイ14世の狩りの館フォンテンブロー城などには熊や鹿,虎などの剥製が飾られていて壁にはそれらの動物の首がdisplayされています。
逆に有名なベルサイユ宮殿などは音楽とダンス(舞踏)の館で戦争を避け平和を志向する館なので飾りは殆ど女性好みです。
私と妻の????????陽子先生は結婚当初大家族(私と妻+私の兄と妹、私の両親、私の母の両親、そして????????陽子先生の両親)⇨そんな中で特に????????陽子先生の母は大家族の大変さをいつも助けてくれました。
明治・大正・昭和が同居する中で私と????????陽子先生が希求する人生を築くのは至難の技。
合言葉はpoco a poco➕後楽園。
『少しづつでも生きるセンスを高めたり深めたりして生きていこう‼️』です。
つまりどんな境遇にあっても決してnegativeにはならないで少しづつでも人生を前向きにpositiveに生きてみようと考えて結婚生活をスタートさせました。
結果は現在大変素晴らしく,素敵な人生の最高レベルに到達間近の感がしています。
我が家のInteriorを決める際にはいつも話し合いと挙手で決めますがWienに2年留学の妻????????陽子先生と6年Parisに留学していた娘????????Musica先生のセンスはいつもピッタリ。
息子が東京で居なかった時は私は常に2対1で敗れていますが,その結果我が家は本当にヨーロピアンセンスに溢れる素敵な家になっています。
つまり男性は女性の感覚と感性によって初めて自己完結が出きることを????????陽子先生との結婚生活で悟りました。
何を言いたいか?はもうお分りになられたと思いますが,女性の場合pianoをただひたすら1に練習.2に練習.3も4も練習と,ストイックに自分を虐めて学ぶのでは無く,より素敵に生き,センス溢れる人生を目指す為に学んでいると考える事をお薦めします。
女性は子供を二人産むべきと言った校長先生がpassingにあっていますが良き妻・良き母を目指す教育が欠けるなら日本は衰退の道を歩むことになります。
すでに現在の極端な少子化は衰退をあらわしていると言い切れます。
女性が好き嫌いや物事の良し悪しを判断する直感(ダサイ、胡散臭い、野暮ったい、etc)をフランスではそれも知性と言います。
確かにそれらに鈍感な人を思うと例えお金持ちや社会的な地位が高くても首をかしげたくなります。
若い世代には素敵な人生を築いていく一助としてpianoを通してヨーロピアンセンス➕精神性を学びとり,素晴らしく,かつ偉大な日本を築いて欲しいと願っています。宮澤功行モデレーター《疾風怒濤の教育 その⑼ 先見性 その2》
札幌Conservatoire????創設時代の発表会は巷で行なわれているスタイルを踏襲する形でスタートしました。
つまり皆様ご存知の通り,それは
A〈予め舞台の真ん中に大きな黒いConcertグランドピアノが設置されていて,生徒がステージ中央に表れお辞儀をして弾き始め,終了後にまたお辞儀をして舞台裾に引き上げる〉形の演奏会です。
このパターンの繰り返しを朝から晩まで聴いていて疲れが溜まってくると素晴らしい演奏も次第にお経か念仏に聴こえてきます。
大きな音大や参加者の多い子どもConcoursなどではこのパターンが何日も続きます。
出演者が皆アルゲリッチやポリーニなら話は別ですが発表会の場合,未熟な演奏と音楽で聴衆を飽きさせず,感激・感動して頂けるには通常のパターンにひとひねり入れなくては無理と考え私は発表会に様々なinvention、innovationを試みることにしました。
Bそのinvention(創意・工夫・発明・発見・etc)についてです。
① 曲によってステージの雰囲気を変えるライディング ② 子どもに内在している表現力を引き出す為の仮装演奏会(ideaはOperaから) ③ プロジェクターを使用しての映像と音楽 ④ 詩と音楽 ⑤ 他のジャンル(踊りなど)とのcollaborationステージ ⑥ 教育目的のストーリー企画にそった演奏 ⑦ 室内楽を加える
⑧ テーマやジャンルにそった演奏(ソナチネ、舞曲、バロック、フランス音楽とドイツ音楽 etc)
此の他に有名なのは《子供Recitalシリーズ》《知られざる名曲の世界》と高知県や海外からのリトルpianistを招いての交流演奏会などがあります。
子供の頃からRecitalを経験させる演奏会やまだ皆んな知らないが素晴らしい曲は沢山あるというConceptの演奏会はかなり斬新な企画だったと思います。
こうして札幌Conservatoire????は毎年、様々なinventionを試みて40数年が経ちます。
私は此れは先生・生徒たち・聴衆に良いと思われる考えや試みは即・実践に移してきました‼️。
何故,直ぐにか⁇と言いますとあーでも無い,こうでも無いと迷ってばかりいると(時間が勿体無い)からです。
近年NHKで(映像と音楽)が、また人の内に潜んでいる変身願望はハローインで賑わっています。
当音楽院が約40年前から行ってきた仮装演奏やその他上記の事々が巷で最近流行ってきているのに驚きます。
と同時に矢張りどの分野でも生き延び,生き残るには先見性が必要と感じます。
私が極一般的なAに固執して発表会を続けていたら一体どうなっただろうと思うとinventionが如何に大切かが分かります。
ところで常に変革,改良点,改善点を見て改める私。
今までの札幌Conservatoire????の発表演奏会のパターンは今年の2月ので最後とします。
此れからは今までとは全く違うパターンでの発表演奏会で心機一転して行く決意を固めました。請うご期待‼️此れからもよろしくお願い申し上げます。宮澤功行モデレーター≪疾風怒涛の教育(10) 先見性その3≫
私の頃,Bachやバロック音楽の演奏全般に対して兎に角①崩さない(メトロノームに合わせて!) ②音の粒を確り揃える ③歌い過ぎない ④ リズムは例えば3拍子の場合「重い・軽い・軽い」4拍子なら「重い・軽い・やや重く・軽く」etcの厳守、、、。
つまり崩れないが面白くない「型に嵌った退屈な音楽」=バロック音楽という感じでした。
そんな中で学生時代にグレン・グールドを聴き大きな衝撃を受け私は次の事を試してみました。
先ずBach・Inventionenのグレン・グールド、アルド・チッコリーニ、豊増 昇,三人のピアニストの演奏をそれぞれ真似て演奏。
次に3人の演奏を耳コピーして細かい装飾音から強弱、アーテイキュレーションに至る全てを楽譜にしてグレン・グールド版、アルド・チッコリーニ版、豊増昇版を作成(もちろん個人的な耳コピーによる制作につき市販はされていませんが後に全音の音楽辞典に掲載され広く紹介されました)
その結果,バロック演奏には通常日本でされていた教育とは真逆の5つのキーポイントのある事が解りました。
1.先ずは (Manieren)。日本では装飾音と伝えられていますが⇒癖・気取り・~風、という意味もあり装飾音に関する固定観念が間違っていた事に気付きました。今は装飾音にはフランス型とイタリア型、その折衷型があるのを理解し装飾記号のクーレやテイラータ、シュライフアーを正しく付ける演奏家も現れていますがまだまだ昔を引きづっている音楽学生が多いのにも驚いています。
2.次にバロック音楽の魅惑を引き出す演奏法としてイネガル奏法(崩す,不揃いに弾くと云う意味⇒主にフランスバロックの技法)、もちろんポルタメント奏法・ノンレガート奏法などもしなくてはなりません。
原典版至上主義に関して先月亡くなったバロックの巨匠アーノン・クールが反省していましたが極度の原典版至上主義に侵されていた時代が長く続いた様に思います。
3.は音楽修辞学(ムジカーリッシュレトリック)⇒音節や動機を言葉によって意味付ける方法を知識としても音楽をする上でも知っておいた方が良いと思っています。
≪バロック時代に於ける音楽修辞学について≫
バロック以前のグレゴリオ聖歌の楽譜はバロックより厳格に音や音節が言葉(神の言葉)に従う様に書かれています。
例えば「嘆き・喘ぎ・悲しみ・ため息」の動機、「受難・悲哀・死と苦悩」を示す半音階の動機、「裏切りと悲痛」を示す増4度、「不安・緊迫感・焦燥感・怒り」を示す減7度・9度などが知られています。
メロデイー線自体が十字を切っている箇所も散見できますしバスの固執リズムとオルゲルプンクト(保持音)も十字架を背負って歩くキリストの苦悩を示していると云われています。
重要なのは♭3つや主和音は「三位一体(父と子と精霊)が愛で結ばれている事」を現し、調和・平和・安定を示しています。
こうした知識を知っているといないでは演奏解釈に大きな違いが生じます。
4,バロックの舞曲に関しては2拍子と3拍子が多いのですが、音符の重さ・軽さ・長短の微妙な違い・割合と感じ方で、メヌエット、シャコンヌ、ワルツ、サラバンドなどになる訳です。
教科書的かつ短絡的に小節線に合わせて3拍子は「強い・弱い・弱い」「重い・軽い・軽い」、2拍子系は「強い・弱い」「重い・軽い」と固定化するのはナンセンスと云うのが解りました。
バロック舞曲は「舞踏譜」の上に音符を置いてみるのが良い楽譜と云えるかも知れません。
5,即興(バロック音楽に即興性は欠かせません)
①音の高さをオクターブ変える ②和音を分散和音にする ③非和声音を混ぜる ④リズムを変える ⑤和音を音階に変える ⑥休符をアバウトにする*、正に「真理の追究」に関しては音楽こそ≪Cogito, ergo sum。我思うゆえに我あり≫でなくてはならないと学生時代に思い即実践に移し演奏していきました。
グールドは別格として現在はシェプキンなどによってこの追及方法でバロック音楽が演奏されています。宮澤功行モデレーター≪疾風怒涛の教育 その⑾(音階について)≫
民族音楽に対して西洋音楽は(?_?)なぜ普遍的なのだろう??と思った大学時代、私は西洋の音階に興味をそそられました。
世界の多民族の音楽は音階がその基でありこれは普遍的にはなり得ない(例えば日本の陽旋法C, D, E, G, A, Cや雅楽の呂音階・ 律音階と陰旋法)などは民族固有の音階であり音楽です。
それに比べてピタゴラスに始まる現在の長音階・短音階に行き着くまでの苦難の歴史は西洋音楽を知る上で大変重要なことに気付きました。
今,宇宙基地への行き来を可能にしているケプラーの「惑星軌道の法則」は数式の羅列で物理の世界ですが,このケプラーの「宇宙の調和」と云う本にこの普遍的な音階へ辿り着く数式が羅列されています。
実は平均率に行き着くまで西洋音階は沢山ありました、、、その代表的なのは。
ピタゴラス音階 Pythagorean tuning、純正律音階 Just intonation、中全音律音階 Meantone temperament、キルンベルガーの音階、平均律音階 etcです。ラベルの「ソナチネ」やバルトークの「アレグロバルバロ」が教会旋法で作曲されている様にヨ‐ロッパの作曲家は「音楽修辞学」の知識も身についており音階の歴史も知った上で作曲している事が解ります。
大変重要なこの事を意外と知らずに目の前の楽譜をただひたすら練習している事、それに追われていると云う事実。
Classic音楽の深さ,比類なき美しさはその本質を理解してこそ得られるのかなあ~~と思います。
書けば長くなり過ぎますのでグローバー医師に倣って参考URLを3つだけ貼り付けますので読んでみてください。
読んだ人は明日から音楽が素晴らしく変わりますよ~~
http://www.nihongo.com/aaa/chigaku/suugaku/pythagoras.htm
http://www.mab.jpn.org/lib/exp/cmodes/char.html
http://www.animato-jp.net/~se/scale.html宮澤功行モデレーター≪疾風怒涛の教育 その後1 (夢)≫
パリ・モスクワ・ロンドンは大きいので別格として愛する札幌と都市の規模が似ているプラハとウイーンも私は大好きです。
しかしながら経済的には札幌が優位なのに音楽文化の余りの格差に,訪れる度に愕然としてしまいます。
その一例:40数年前から現在に至るまで二つのオペラ座での演目は毎日変わります、、、出演者は常に世界最高峰のメンバーで伴奏のオーケストラはウイーンフイルなので常に超満員。
札幌の場合は一年に一つの演目がやっとで国際的には??なレベルです、、、悲しくも40数年経ってもこの格差はチジマルどころか拡がっている様にさえ感じます。
もう少し具体的な例を挙げてみるとさらに良く解りますが国際比較すると日本の大学は世界の大学ランキング200に一つも入っていないと云う事実。これは下記のURLに詳しく書かれています。
≪http://www.mag2.com/p/news/146638≫残念ながら北海道の音大も100年の歴史を積んでも国際的に活躍できる逸材は出ないし教授の世界的な活動も皆無に等しいです、、、現状に甘んじ世界が見えていないので音大自体がガラパゴス化してしまっている様にさえ感じます。
つまり教授や学生に世界で活躍できる才能が在っても引き出せていない教育状態にあると言い換えることが出来るかと思います。
私が学んだ頃の桐朋学園には「世界に追いつき追い越せ」という空気感があり,教授と学生双方に,それは暗黙の合意であった様に思います。
そうした教授達の教育への情熱によって多くの学生が小澤征爾さんのように世界を目指して活躍し,今日の日本の音楽レベルアップに貢献していったのだと思います。
私が東京へピアノを習いに通った頃の札幌のピアノレベルは東京から嘲笑された低レベル、、、それが今や「北海道はレベルが高い」が全国的に代名詞になっています。
桐朋学園の才能教育をモデルに創設した札幌コンセルヴァトワールもレベルアップの一端を担ってきましたが,もし私が北海道で「疾風怒涛の教育」を掲げなかったら自分が頭で描いた音楽教育上の理想や夢は何一つ成就できなかったと思います。
つまり疾風怒涛とはあらゆる分野で既成概念を超えた新たな世界を世に示していく精神であり魂の事だと思っています。近松門左衛門の虚実皮膜論を持ち出すまでもなく≪実業・実学と虚業・虚学≫は実は表裏一体であると私は考えています。
パリを訪れる観光客は毎年7~8千万人,ウイーン・プラハにも毎年,札幌の数十倍の観光客が訪れています、、、確かにこれらの都市は何度訪れても飽きる事がなく,直ぐにまた訪れたくなります。
なぜならこれらの都市は「文化」の魅力に溢れているからです。
それはルイ14世の母「カトリーヌ・ド・メジチ」が掲げた≪パリを世界最大の文化国家にし,諸外国はその文化にお金を落とす≫といった国造りの成果に外なりません。
他の女帝が君臨した国の政策にもこの事は顕著に表れています。
この伝統が引き継がれている現在,これらの国々や都市の観光収入は莫大なものになっています。
私は札幌がこの様な都市に成長していく事を夢見て,毎日音楽院でピアノに向き合っています。
つまり虚業・虚学と云われている文化で財政が潤うそんな札幌を夢見ているのです。
オペラで追いつくのには無理が在ってもピアノなら世界的なレベルに到達していける素地が札幌にはあり,それは環境的に,また学ぶ子供たちの資質にも感じています。
何よりもかつての桐朋学園の教授たちが子ども達の才能を磨き上げ世界へ送り出していったのと同じ様な「教育への情熱」を感じるピアノの指導者が沢山います。
その方法としては国家的規模で開かれているショパンやチャイコフスキー国際コンクールとまでは行かなくても多感な子ども時代に世界に挑戦する教育として私は「青少年・子どもの為のチャイコフスキー国際コンクール」の様な世界的規模のコンクールの札幌開催を提案し,それが札幌や近隣都市で開かれることを夢見ています。宮澤功行モデレーター≪疾風怒涛の教育 その後(夢その2)≫
私の創設した小さな音楽院は教育の理想と自己実現を目指し,たぐい稀な成果をあげてきました。その成果は札幌コンセルヴァトワールの公式Blogに掲載されています。
≪https://conservatoire.fcg.world/≫
中でも特筆に値(あたい)するのは「北海道に居ては絶対に不可能・出来ない」と言われていた事々を全て成し遂げ,遣り遂げたことが挙げられると思います。
例えば①,上杉春雄くん「東京サントリー大ホール・ピアニストデビューリサイタル&東芝EMIから3枚のCDを発売」、②,私が国際コンクール審査員に20年余り招聘され審査員をしてきた事、③,国際コンクール上位入賞者を多数育て続けている、④,北海道から真っ直ぐ欧米各国へ留学生を送り中には飛び級首席にて卒業する生徒も現れる、⑤,日本のコンクールで上位入賞を40年余り続けている事、
⑥,欧米で活躍している生徒達、⑦,海外のオーケストラとピアノ協奏曲を共演する生徒が多数、
⑧,海外の音大・音楽院でのセミナー&演奏会を続けている、⑨,欧米の著名な教授による個人レッスンの会を継続的に行っている、⑩,ヨーロッパ&ロシア等への音楽研修旅行を続けている、⑪,その他*,因みに上記の1~4、7は北海道では札幌コンセルヴァトワールのみが出来たことです。
*,本来これらの実践や音楽活動の業績は私の様な音楽院から生徒を預かった音大がしていくべきと考えていましたが,それが全く期待出来ないことが判明した為「出来ない」理由や言い訳を述べず「どうしたら不可能が可能になるか??」を問い続けながら頭で用意周到シュミレーションを描き全てを「出来た!!」に変えてきての現在です。此処までは「理想・夢・自己実現」が成就した点に於いて全て正解だったと思います。しかしながら齢を重ねて未だに頑張っていても個人的な音楽院ゆえ広く公共を持って認知される点には限りが在ります。
やはり教育は強力で幅広い社会的認知があった方が世界に正当性を主張しやすいと考えています。
例え私の個人的な夢の多くは叶ったとしても「儚い人生」それが死に至るまでの一過性であっては虚しいことです。
教育には永遠の継続性が必要です、、、私は札幌独自の音楽文化(例えそれが最初はピアノに限定されたものであったとしても)を世界に名だたるレベルに発展させたいと思っています。
欧米の音大は「舞踏と音楽の大学」となっていますから舞踏科も併設するともっと素晴らしい理想の音楽大学が札幌に誕生することになります。
もし可能なら「札幌市立大学の中に音楽科を設け」そこでピアノ教育の一端を私に担わせて頂けるなら音楽で世界的な有名大学を我が愛する札幌に築き上げられると確信しています。
なぜなら既に小さな音楽院である札幌コンセルヴァトワールが世界的レベル到達間近であり,その実践教育はとてつもない成果を挙げ続けているからです。
間もなく床につき私は今夜もこの夢の続きを見るつもりです。 - 投稿者投稿