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- 宮澤功行モデレーター
《疾風怒涛 その後 1》
札幌に居を構え札幌Conservatoire????を創設してからの私は水を得た魚のように自由自在に音楽活動を展開し北海道のpianoのレベルアップに貢献してきたと思います。
私の時代には憐れみの眼差しで見られていた北海道のpiano演奏レベルが今や《北海道はレベルが高い》が定着しており,まるで隔世の感があります。
もし私が奈落の底に落とされ苦悩の毎日を過ごさなかったなら今の素晴らしい音楽人生を当たり前に思っているかも知れません。
なので今は私に絶望を体験させてくれた教授と,そこから救済してくださった教授を始め多くの人々に感謝をして生きています。
こうして毎日明るく生き生きとMuses(音楽の神々)に仕えられる日々は正にBeethovenの云うところの歓喜の世界のように思え,私は毎日そこに入って生きている感じがしています。
Beethovenが《人間はまじめに生きていても、必ず不幸や苦しみが降りかかってくるものである。しかし、それを自分の運命として受け止め、辛抱強く我慢し、さらに積極的に力強くその運命と戦えば、いつかは必ず勝利するものである。》と云う言葉が心に沁みる毎日です。【続く】宮澤功行モデレーター《疾風怒涛 その後 2》
ひと昔前の話しになりますが,私が間違い無く天才と評価した生徒が北海道本選会で最優秀賞を受賞したにもかかわらず《全国大会には出場させない》と表彰式で伝えられ全国大会に出演出来なかった事がありました。
その理由は私の生徒だからという一点です。
つまり野球で例えるなら北海道大会で優勝したが宮澤が監督だから《甲子園には出場させない》というのと同じことです。
今はネット社会ですから大学などの大組織の
虎の威を借る狐(権力・権威に頼って生きている人達)の不条理や理不尽な行為は直ちにネットで暴かれ叩かれる様になりました。
私の時代とは大違いです。
普通の先生ならその先の仕事が無くなる様な事も保身や権威を見せつけ誇示する為に平然と行う懲りない面々は今もいます。
でも,この先のネット社会ではこんな理不尽な行為は絶対無くなって行くと私は信じています。
いずれにしても若い音楽家が音楽芸術を極める姿とは全く程遠いドロ泥した人間社会をも乗り越え自分が信じる音楽を目指して行くのは大変です。
齢を重ねmonsterペアレンツも含めこの様な相談を受ける立場になってきた私ですが日本の疾風怒涛の元祖・吉田松陰の《人を相手にするな、、、神を相手にせよ》に倣う事を回答の前提に置いています。
つまり音楽家は俗なる事々の為に音楽しているのでは無く「もっと崇高なる精神の理想世界を音楽で伝える為に生き,音楽しているのだ」と云う信念を持つこと。
其れによって始めて人の魂は浄化され音楽によって救済されると信じる事が大切です。
この考えは私自身がMuses(音楽の神々)に献身的に奉仕し,Muses(音楽の神々)に仕える信徒となる様に変えて行くことで完成しました。
雑多な人間感情は複雑で,しかも低レベルが大多数ですからイチイチ構っていると音楽どころでは無くなります。
従って私は他人(人間)を相手にしている様で実はそうでは無く音楽にのみ対峙している姿勢を今日に至るまで貫いています。宮澤功行モデレーター《疾風怒涛 その後 3》
私の時代は1ドルが360円でしたから留学は叶いませんでしたが今は違います。Facebookの私のTimelineで生徒たちがそれぞれ自分に合った国へ留学し生き生きとした書き込みをしてくれるのが本当に嬉しいです。今日も素晴らしい知らせが世界各地から書き込まれています。
既に欧米の音大を卒業し現地でプロとして活躍している元音楽院生にはその努力に敬意を払っています。
北海道にある二つの音大はハンガリーのリスト音楽院との提携が主たる方針なので他の国への留学は難しいと思います。
なぜならいつの時代も学生は弱い立場だからです。
私はそれぞれの目的と個性に合った音大を日本の音大も含めてglobalな視点から選択し学ぶのが一番良いと考えています。
札幌Conservatoire????生が夢・憧れ・希望を胸に留学してメゲズに逞しく成長している姿に私は未来の日本への明るい兆しを感じます。
最近は《????????Paris国立音大(M・Sさん).????????Moskva音楽院(Y・Tさん).????????Praha国立音大(E・Gさん).????????École Normale de Musique(R・Iさん,K・Eさん他).Parisと????????Portugal(T・Hくん).????????Spain(N・Nさん)、????????Hannover(H・Kさん)、????????アメリカの音大(M・Aさん&T・Tさん).の書き込みがあり????????Wienや????????Berlin、????????ベルギー、etcの音大のこともTimelineに掲載されています。》
常に時代を先駆けて実践してきた私の《疾風怒濤の教育》はGlobalな世界で成功している生徒たちの姿で証明されていると思います。宮澤功行モデレーター《疾風怒涛 その後 4》
私はTEDやNHKのSuperpresentationと云う番組を良く深夜TVで見る度に自分も含めて日本人はPresentation能力を磨かないと欧米では採用されないなぁ〜〜などと感じてきました。
ところが今日のRythmiqueの実践講座をされた鈴木真理先生は実に素晴らしかったです。
先ず自分のことをちゃんと伝えつつ最初に場を和ませる笑顔と融和感に満ちた語りかけでRythmiqueを初体験参加の赤ちゃんやお母様を和ませるStart方法。
次にRythmiqueってどんな事なの?と思って参加している参加者へ,ひと言ひと言の言葉のインパクトを大切にしつつPerformanceを交えながら講座を進めていくのにも感心しました。
又,上手に間を空けながら自分の実体験に基づいての話をまるで秘密を教える様な話し方でしていく手腕。
Rythmiqueのポイントは何かを明確にし,その核心をつく語り口はつねに謙虚のままに終始しました。
鈴木真理先生の若さでは中々到達出来ないRythmiquepresentationでした。鈴木真理先生の講座を聞いていてAppleの創設者スティーブ・ジョブス氏の「Stay hungry,Stay foolish(ハングリーであれ、愚かであれ」と云う有名なスピーチが私の脳裏をよぎりました。
鈴木真理先生は有名音大を出てもそれを拠り所とせず、自信過剰にもならず、謙虚に学び続ける大切さを伝えてくれた様に思います。
音楽院の????????未来は此の様な先生の新しい授業と????音楽院の講師の皆様の学び続ける姿勢によってのみ此れからも永遠に輝き続けられると感じました。????✨宮澤功行モデレーター《疾風怒涛 その後 5》
①,安心・安定・安全は人間の本能だと思います。だから常に保守派(自民党)が強い構図になってしまいます(笑)。
②,頭を使わない無防は論外ですが冒険しない人生に面白味を感じない人間もいます(私など)
人生は二者択一《①か②》、、、中間もありますが②を選んだ場合,中途半端ならアッという間に淘汰されてしまいます。
*,私が目指した桐朋学園は当時は田舎(赤平市の茂尻町)では誰も知らない学校でした。
進路相談の先生に『桐朋を目指している』と伝えたところ東宝と感違いされ《映画に行くのか⁇》と言われたほど無名でした。
しかし当時の桐朋の教授陣は皆なベンチャー気質で私も多分にその影響を受けたと思います。結果はベターでBest。
息子がある本に(父親を見ていたら毎日楽しく生き生き仕事しているので僕もベンチャーを起業することにした、、、)と書いて有りました。
息子から客観的に見ると札幌Conservatoire????は私が創設したベンチャー企業との事です。
其れは兎も角②の場合,紆余曲折・艱難辛苦を経験しながら人生を切り開いて行くことになりますが,此の歳まで生きて思うのは矢張り②の人生は厳しいですが最高です‼️
時には四面楚歌に追い込まれもう駄目だと云う事態にも直面しますが息子も私もいつまでも夢や理想を追いかけながら前に進んで行く人生に飽きることが有りません。
ですから老け込むことも無く毎日が楽しく新鮮なんです‼️
私は後輩や生徒たちに②の人生を決して勧めませんが②の人生って面白いよ〜〜、いつまでもこんなに生き生きと明るく生きられるんだよ。と云うことは伝えたいと思っています。
何故なら音楽家や芸術家の生き方は本質的なところで自己革新を繰り返していかなくては真の創造者にはなれないからです。
今、私が危惧しているのは革新を長く続ける事で保守派に感違いされることです。
私は矢張りいつまでも前衛でありたいと思っています。宮澤功行モデレーター《疾風怒涛 その後 6 、光陰矢の如し》
私の時代は日進月歩、????????息子の時代は秒針分歩、そして今はゴードン・ムーアの法則で1年で2倍進化している時代だそうです。
ついてくのは大変ですが人類の歴史上最も面白い時代だと思います。
But.乗り遅れたら大変。アッと云う間に過去に押しやられてしまうのがTwitterをするとすぐに分かります。札幌コンセルヴアトワールのHPは息子が高校生の時に作製して私にPresentしてくれた作品でこの時代はまだHPソフトも無くPC言語での製作でした(感謝・感動)。
この札幌Conservatoire????HPが出来た頃は(ピアノや音楽教室)で検索すると検索サイトで常に一番上に表れていたのが今のスマホ時代では検索に全くかからない事態になってしまいました。
息子の秀作URLも今や時代遅れになってしまったのに気付きました。幸いもう一人の息子(娘婿)は医師ですが超優秀なPCの達人・専門家なので今の時代に合った新しい札幌Conservatoire????公式Blogを製作してくれました。
そして,このURL(www.conservatoire.co.jp/)にクリックすると即・公式BlogのURLの方に導かれるように設定をしてくれました。
《https://conservatoire.fcg.world/》
息子のPresentのHPに未練は有りますが時代の急速な流れに取り残されないように公式Blogの方に切り替えて行きたいと思います。
私の時代には全く考えられもしなかったHPやスマホの活用を二人の優秀な息子に教えてもらいながら私は今の新しい時代を力強く乗り越えて行きたいと思います。
皆様にも此れからは音楽院の公式Blogの活用をよろしくお願い申し上げます。ことわざの『老いては子に従え』は正しいです‼️
四人の素晴らしい子供たちのお陰で我が家族はSNSを駆使しFacebookやLineなどのスタンプのやり取りcommunicationで毎日笑いが絶えない日々を送っています。宮澤功行モデレーター《疾風怒涛の教育 その⑶ 》
私の両親は共働きの先生で父は私と同じ高校の教頭先生。
私の身体が弱かったのもあり学校に関する会話がいつも面白かったです。
例えば当時『世界で最も学校に行く国は日本で年に270日,次がソヴィエトで210日,欧米は160日,…etc。塾は無く学校の教科書は家に持って帰らず学校に置いておく、、、』
『日本はひとクラス50人…欧米は30人位で黒板は無くレベルに応じてバラバラに学んでいる』『ヨーロッパでは高校野球などの感じの教育は全体主義につながるとのことで無し』など。
つまり日本の教育は大変優れているが欧米と比較するとまだまだ考え直していかなくてはいけないと云う思いが強かった父でした。
https://m.youtube.com/watch?v=BnVfJMK3kak&sns=fb
教頭でしたから文部省の教育をそのまま生徒に伝えていましたが私には欧米スタイル。
学校に行くことを強制せず、、、何か打ち込むものが有ったり興味が湧くことができたら学校はいつ休んでもOKで試験の点も気にせずの両親。
なので毎朝の会話が『功行、今日は学校に来ないかい⁇』という感じでした。
もちろんゲームセンターなどで遊びほうけていたら違ったと思いますが????Pianoを弾くのを認めていたのだと思います。
大学を決める際に一度だけ『北大に行ったらどう⁇』と普通大学を勧められましたが(どうしてもピアノで行きたい。)と伝えると『乞食になっても良いんなら応援する、、』との答え。
多分,私の覚悟,強い決意を確かめたのだと思いますがお陰で桐朋へ、、、
今考えるとこの様な我が家の教育スタイルなのでpianistや漫画家や発明家、、起業家が出るんだと思います。
http://s.ameblo.jp/junzom/entry-11829912670.html
当時から面々と続く日本の教育からは良質で均一化した企業戦士や公務員は大量に育ち現在の日本がある訳ですがこの種の教育の反動もまた大きいと思います。
ペーパーtestの点数と偏差値で成長期の子供たちを輪切りして未来を決める形の教育の結果,現在、日本全体のニートと引き篭もりが300万人、、、。
心や魂を鍛え磨き上げる藝術教育は学校教育からどんどん外されているのは悲し過ぎて言葉になりません。
現在の仕事の40%がロボットに代わられて行く時代にこそ決して代わる事が出来ない藝術教育が重要だと考えています。宮澤功行モデレーター《疾風怒濤の教育 その(4)》
札幌コンセルヴァトワールの実践教育の一つにヨーロッパ音楽研修旅行があります。参考に04年の研修の文を掲載します。
【歩いているだけで詩心・歌心が湧いて,それが自然に醸成されていく不思議な感覚に陥る街はヨーロッパにもそう有るものではない。
芸術を志す人にとってパリやペテルスブルグは,そうした街の一つであり何度訪れても飽きる事がない。
「人は旅をしないと駄目になる」と書いたモーツアルトは自分の居る狭い空間に留まっていると才能はやがていき詰まる事を自覚した天才でした。
エコール・ルマル音楽院のMarian Rybicki教授が主宰して下さったパリの演奏会は満員のお客様から盛大な拍手をあび大好評を博しました。
この実践自体が時間と空間を超える事を促していますが,パリの市内観光とルーブルでの美術鑑賞なども多大な影響を与えたと思います。
私達はパリの成功の余韻に浸る間も無く,期待に胸を膨らませペテルスブルグへと向かいました。
霙(みぞれ)降るペテルスブルグ国際空港に降り立った一行は,ここはパリとは全く対照的な街である事を直に悟りました。
翌日エルミタージュ美術館,ピョートル大帝夏の宮殿などを観光,その後開催された演奏会では時差や環境変化にうろたえる事無く,皆伸び伸びとした演奏を披露,ここでも聴衆の盛んな拍手をあびる事ができました。
「日露交流演奏会」でしたのでロシアの子供の演奏もあり,終演後には当地の「薔薇の学校」の生徒達とプレゼント交換会なども行われ,すこぶる友好的な感じで会を終えました。
こうして異国の地での子供達の真摯な演奏を聴いていると,やはり音楽は言葉を超えて「心から心へ」伝わることが良く解ります。
個人レッスンの会も充実,参加者全員がペテルスブルグ音楽院の二人の教授を囲んで行われた昼食会では「是非ペテルスブルグ音楽院へ来て学んで欲しい、、、」とお願いされたり「お互い今後の交流を続けて行く上で何が可能か?」などについて話し合われました。
旅のクライマックスは「ピアノ協奏曲の夕べ」
モーツアルト作曲・ピアノ協奏曲・ニ短調 K,466(後藤絵里・17歳)
ショパン作曲・ピアノ協奏曲・一番 佐竹茉梨子・13歳)
ベートーベン作曲・ピアノ協奏曲・三番 八田智大・17歳
「アレクサンダー・カントロフ指揮ペテルスブルグ交響楽団と全楽章を共演」
3人のソリストの音楽への熱い思いと分厚く奥深いペテルスブルグ交響楽団の響きが共震し,曲が流れ,会場に音楽が満ち始めると、、、、やがて沢山のロシア人が涙を拭いはじめました。
驚いて,ふと会場を眺めると大阪の西川先生と札幌の棚瀬先生の目にも涙が、、白井さんも泣いていました、、皆の目に涙が溢れて、、、いるのです。 終演後,スタンデイングオベーション(素晴らしい演奏や感動した事に対して立ってアンコールの拍手を続ける事)で感激を表してくれたロシアの聴衆に私は思わず感謝。
指揮者のカントロフ氏と団員からも激賞・絶賛され,「この素晴らしい演奏会を今後も続けていきたい、、、、」旨の要望を頂きました。それにしても,初めて海外でのオーケストラ共演にもかかわらず全く動じない3人の度胸には脱帽です!
以上,淡々と書いてきましたが,その一日・一日の中に人が生きていく上での大切な要素が凝縮されていた事。
そしてリスクを背負いながらも行動し実践に移し変えていく事で初めて自分を成長させられることを先生と共に学べた旅だったと思います。
私はこれが音楽教育で最も重要な要素であり,その先の究極に真の「感動・感激」があると思っています。
技巧に走り何か覚めた感じのする演奏に触れるにつけ,ピアノをしていく上でも人生でも互いに感動する心を共有していく,こうした試みこそが音楽教育の原点だと思うのです。
ピアノを学ぶ子供達が憧れ・夢・希望・理想などを感じないまま日常に埋没していたなら練習を拷問と感じ苦痛に思うでしょう。
逆にいつも心に夢や希望を持っての練習はとても楽しいものに変わります。
机上の空理空論を語るよりは先ずは実践。その素晴らしさを実証してきた札幌コンセルヴァトワールはこれと同様の事をプラハ、ウイーン、モスクワ、その他の都市でも行ってきて現在に至ります。
昨年5月のクリンの春音楽祭のこと等は既に雑誌にも掲載されました。宮澤功行モデレーター《疾風怒涛の教育 その⑸》
【ヨーロッパ音楽研修旅行・ウイーン・プラハ・パリ】
*,04年に続き09年の「実体験・参加型ヨーロッパ音楽研修 旅行」について書いてみます。
*,毎回旅発つ前に私はMuses(音楽の神々)に祈りを捧げてから出かけます。生徒を引率する時は特に旅の無事と成功をひたすら祈願してから出かけます。
*,09年の音楽研修旅行はムジクフエラインでの演奏会がオーストリア&日本の友好140周年記念」として頂けた事で 演奏会の際に駐・オーストリア日本大使から格調高い御挨拶を賜れ,また初回ウイーン20区の演奏会の模様を北海道新聞社・ウイーン支局「石井群也様」がヨーロッパ発の記事として道新に掲載して下さった事は嬉しく生徒達の励みになる出来事でした。
*,HPの掲示板には生徒達の感動・感激の様子が素直に書かれています。記事を読む内にやはり実践して良かったの思いで胸が熱くなります。
今回は特に:
1,初日のウイーン演奏会は開演ギリギリに会場に到着したにも関わらず生徒達の演奏がとても素晴らしかった事。
2,音楽の殿堂ムジークフエライン(ウイーン楽友協会ホール)で演奏会が出来た事。
3,プラハのドボルザーク記念博物館でドボルザーク自身のピアノで演奏出来た事。同じく映画「アマデウス」でモーツアルト俳優が使用したフオルテピアノに参加者全員が触れて実体験出来た事。
4,パリの超満員のホールで主催者が「今演奏した神吉さんはこの音楽院の演奏家コースを首席で卒業したmusicaさんが卒業後,祖国へ帰りパパの宮澤功行氏が院長を務める札幌コンセルヴァトワールで育てている生徒さんです。
この音楽院卒のMusicaさんが自分の生徒さんを連れてこうして母校を訪れ,未来をつなげていく姿に敬意を表します。」と述べられ私とMusicaをステージに上げ万雷の拍手で讃えて下さった事です。(全く予期しない出来事だったのでその気配りに感激し心が熱くなりました)*,話は変わりますがヨーロッパ音楽研修旅行のBussの中で「のだめカンタービレはピアノ少女の夢をフイクション(架空の漫画ド ラマ)として描いたものだが宮澤カンタービレはフイクションを現実化していく物語。皆にこの違いが分かるかな?」と謎かけをしました。
夢や理想を現実化していく為には一般的な「努力「練習」等の訓練+現実から未来をシュミレーション化して一歩一歩漕ぎ着けて行く生き方が求められます。
人間関係とコミュニケーション能力も試されます。
この旅は生徒達に私の海外活動の一端を覗いて頂いたに過ぎませんがプラハのラジオインタビューアから「貴方が行ってきた海外交流での成果はいかなるものとお考えですか?」と問われた時,私は「ここにチエコ語を日本語の様に話す山田めぐみさんがおり,後藤絵里さん゚のプラハでの活躍こそがその答えを示していると思います、、、」と応え,チエコで掲載されました。
後藤絵理さんは来月プラハのオーケストラ・ソリストとしてイタリアでリストのピアノ協奏曲1番を共演し今月はプラハでベートーベンの4番協奏曲を共演します。
ヨーロッパで水を得た魚の様に活動する宮澤Musicaを始め後輩の後藤君・山田君・八田君・堀川君などに会って,この音楽研修旅行の意義と意味が益々深まる事を感じました。
又,パリでは八田君が大きな写真&記事で八田君を紹介しているパリの新聞をホテルに届けてくれたのを拝見し感激しました。
*,「旅は楽しく有意義に!」がモットーの私にとってプロ並みの手品の手さばきや面白い話で皆を楽しませてくれる明るいムードメーカー的存在は旅を楽しく有意義に続けていく上で貴重な人材だなーと感じました。
それは会話の中のジョーク,エスプリ,比喩と同じ位日常のガス抜きに大切です。
*,緻密に計画を立てても緊急事態は起こりますから,常に臨機応変,優柔不断に構えて対処していかなくてはなりませんし,一つの事を成し遂げるに当たっては色々上手く行かない事も出てきますので成功に導くには数多くの方々の理解・協力・支援を得なくてはなりません。
ヨーロッパ音楽研修旅行が終わった瞬間,私は研修旅行にご理解・ご協力・ご支援を頂いた方々へ心より感謝と御礼を伝えます。宮澤功行モデレーター《疾風怒涛の教育 ⑹》
⑹ にMoskva音楽院・Moskva中央音楽院の事などを書こうと思いましたが私のFacebookの方に2011年からの数回に渡るMoskva音楽研修旅行の事が写真と共に掲載してありますのでFBで見てください。 - 投稿者投稿